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2024年4月

「他力といふは 如来の本願力なり」
         親鸞聖人『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』


「他力本願」というと、現代では「他人まかせ」という意味で用いられることが多いですが、本来は阿弥陀如来の願いから起こるはたらきを指す言葉です。
​「他力」とは「利他力(他を利する力)」という意味で、ここでいう「他」とは他者のことではなく、阿弥陀様が救いの目当てとする衆生、つまりは「私」の事です。

 この私を浄土へ生まれさせ、尊い仏としたいという阿弥陀様のはたらきを「他力」あるいは「本願力」と言います。

 私たちが地に足をつけて歩くことができるのは、支えて下さる大地があるからです。他力に支えられてこそ、私たちは他人まかせにせず、自らの人生を力強く歩んで行けるのです。
2024年5月

「不思議とは凡夫が仏になることよ」
                          蓮如上人

 ある時、お弟子の法敬坊が言いました。
「蓮如上人様が書かれた南無阿弥陀仏の名号が火事で焼けましたが、
六つの文字が六体の仏となって昇って行きました。不思議なことがあるものです」
 すると、蓮如上人は、
「それは不思議でことではない。南無阿弥陀仏はもともと声の仏様なのだから、仏が仏になるの当然の事。不思議とは凡夫が仏になることを言うのだよ」
 
 私たちは、道理や理屈のわからないことに不思議という言葉を使います。しかし「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というように、手品や超常現象のような一見不思議なことも、理屈が分かってしまえば何も不思議ではなくなります。本当の不思議とは「思義できない」ことですから、そもそも道理や理屈でははかれないものです。
 
 たとえば、私が両親の間に生まれてきたことは、歴史的、生物学的な理屈ならば説明可能ですが、「なぜこの両親の間に生まれて来たのか」は説明のしようがありません。それこそ不思議なご縁としか言いようがないのです。
 本来仏になれない凡夫が、お念仏ひとつで仏になるということも、
人間の理屈で思いはかることはできません。「凡夫を仏にしたい」と願われた阿弥陀様の不思議なおはからいによると、ただ仰ぐばかりなのです。
2024年6月

「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀
 つれてゆくぞの 親のよびごえ」
​                          
原口針水
 
 私が「南無阿弥陀仏」とお念仏すると、私の耳に「南無阿弥陀仏」と聞こえます。この聞こえてくるお念仏を、親鸞聖人は阿弥陀様の喚び声と味わっておられます。阿弥陀様は遠くから「こっちへ来いよ」と呼んでいるのではなく、私の身の内から声を通して喚びかけて下さっているのです。
 
 昔から浄土真宗の門徒は阿弥陀様を「親さま」と呼び親しんできました。親が子にそそぐ無条件の愛情を仏様のお慈悲に重ねて、阿弥陀様を「いのちの親」と呼んだのです。
 
 子から離れた所にいる親は「つれてゆく」ことはできません。子の一番近い所にいればこそ、親は抱いて抱えて「つれてゆく」ことができるのです。
 お念仏申すということは、この親の喚び声を、私が称え聞くことでありました。
2024年7月
 
「完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握り拳は存在しない」
​                            釈尊

 
お釈迦さま最晩年のお言葉。体調を崩され、涅槃が近いことを自覚した師に、いつも側につき従っていた弟子のアーナンダは最後の説法を請います。それに対してお釈迦さまは次のように仰いました。

「アーナンダよ。修行僧たちは私に何を期待するのか。私は内外のへだてなしにことごとく理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握り拳は存在しない」

 覚りの智慧と慈悲をそなえたブッダには、握り隠して出し惜しみするようないかなる教えもないことを、お釈迦さまは厳しく諭されています。貴賤善悪、敵味方も超えて、あらゆるいのちに対して欠け目なく開示された教えが仏法なのでした。
2024年8月
 
「蟪蛄(けいこ)は春秋を識らず、この虫あに朱陽の節を知らんや」   
​                          曇鸞大師

 
 元は荘子の言葉で「蟪蛄」はセミのこと。夏の間だけ地上に現れ、秋を待たずに死んでしまうセミは春や秋を知りません。春や秋を知らないということは、自分が今夏(朱陽の節)を過ごしていることも知り得ないという意味です。
 
 私たちは生きている今を知っているつもりでいます。しかし自分がどこから来てどこへ往くのか、我がいのちの来し方行く末を知らない私は、夏を知らないセミのように、実は今生きているということも本当に分かってはいないのかも知れません。
 
 夏を知らずともセミが間違えることなく夏に羽化するのは、そうさせるはたらきがあるからです。自らのいのちのあり様を知らず、どこへ往くかも定められない私が、この度お浄土に生まれることができるのは、私のいのちを知り抜いた阿弥陀さまがいて下さるからです。
2024年9月
 
「月影のいたらぬ里はなけれども 
ながむる人の心にぞすむ」   
​                          法然聖人
 
 
親鸞聖人の師である法然聖人が詠まれた歌です。

 月の光は地上をあまねく照らします。しかしその柔らかな光が心に宿るのは、それを眺めた人だけです。
 阿弥陀さまの智慧の光も同じように、全てのいのちを分けへだてなく照らして下さいますが、月に背を向けていてはその姿を目にすることはできません。

​ 仏の光に出遇ってはじめて私の心に智慧のともしびが灯り、もはや生死の闇に迷うことはなくなるのです。それはいつも仏さまがご一緒の、お浄土への明るい道行きです。
2024年10月
 
「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」   
​                          良寛禅師
 

 こちらは良寛さん辞世の句として有名です。

 紅葉の葉に裏表があるように、人間にも裏表があります。社会生活を営む上で、私たちは外面を取り繕い、他人にはさらせぬ心を隠し合っているお互いではないでしょうか。
 しかし臨終に至ったとき、そこにはもはや裏も表もありません。裏も表も見せながら散る紅葉のように、良寛さんの心には「ありのまま」という安らぎがあったのかも知れません。 

 阿弥陀さまは、私の裏も表もご存知です。他人には心を見透かされたくないものですが、阿弥陀さまに見抜かれていることは安心です。私の底の底まで見抜いた上で「決して捨てない」と喚びかけて下さるのですから。
2024年11月
 
「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ
」   
​                          親鸞聖人

 
 親鸞聖人のお手紙にあるお言葉です。

 人として生きるからには、世の安穏を願うことは当然のことと思えます。しかし、もし心が大きな不安や心配事、激しい怒りに惑わされているときに、他者のしあわせや世界の平和を願うことが出来るでしょうか。

 親鸞聖人は「浄土往生が不安な人は、まず我が身の往生を考えてお念仏申しなさい。我が身の往生間違いなしと思われる人は、仏のご恩に報いるためにお念仏申して、世の中が安穏であるように、仏法が広まるようにと思われるのが良いでしょう」と仰せです。

 世の安穏のためには、どれだけ制度や仕組みを整えても、そこに生きる人々の心に安らぎがなければ根本的な解決にはなりません。一人ひとりがお念仏を喜び、仏法が行き渡ったところにこそ、真に安穏なる世界が実現するのでしょう。
2024年12月
 
「人身受け難し いますでに受く
 仏法聞き難し いますでに聞く
」   
​                          礼讃文

 
 ある時、お釈迦さまはガンジス川の砂を掴み、弟子の阿難に言いました。

「この世にはガンジス川の砂の数くらい無数のいのちが存在するが、人間に生まれてくるのは、この手のひらに乗るほどに過ぎない」

 さらにお釈迦さまはその砂を爪の先に乗せ、

「せっかく仏法を聞くことのできる人間に生まれても、正しい教えに出遇える者は、これほどしかいないのだよ」と仰いました。

 私たちは受けがたき人間の身を既に受け、聞き難き仏法を既にお聞かせいただいています。これは誠に希有なことなのです。
2025年1月
 
「道徳はいくつになるぞ
 道徳、念仏もうさるべし
」   
​                          蓮如上人

 
 元旦、京都の勧修寺村に住む道徳というお同行が蓮如上人の元を訪れました。道徳はおそらく形式的な新年の挨拶をしたのでしょう。それに対して蓮如上人が仰ったのがこの言葉です。
 この時、蓮如上人七十九歳、道徳七十四歳。
 当時は数え年ですから、新年を迎えることは一つ歳を重ねるということでした。年明けのめでたい気分でいた道徳さんは肝を冷やしたかも知れません。
「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり(御文章)」。
 歳を重ねたからではありません。誰もが「明日あり」とは限らない老少不定の境涯を生きているからこそ、今このいのちの行方、確かなお救いを聞き、お念仏をいただかなければならないのです。
 さて、あなたはいくつになりましたか。
 お念仏申しましょう。
2025年2月
 

「鬼はおらん 鬼をつくる心がこっちにある」
                          仲野良俊


「鬼は外、福は内」と大きな声で唱えながら鬼に豆を投げる節分の行事。ここで言う鬼とは誰の事でしょうか。
 世間には「鬼みたいな人」という言い回しがありますが、この表現の前には「私にとって」という言葉が省略されています。私の外側に鬼がいるのではありません。その人を自分の都合で鬼と思う私の心があるのです。

 島根県の妙好人、浅原才市さんは、自身の穏やかな表情で合掌する肖像画を見て、「これは私の顔じゃない」と頭に鬼の角を描かせたといいます。

 外に鬼を見ているうちは、自分のことは見えません。才市さんは阿弥陀さまから喚び続けられていた自身の中に鬼を見たのです。「鬼は外」ではなく「内は鬼」だったのです。
 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏の声となって、「鬼の心を持つあなたこそが、私の目当てだよ」とが告げて下さっています。
2025年3月
 

「明日ありと思う心のあだ桜 
  夜半に嵐の吹かぬものかは」
                          親鸞聖人

 親鸞聖人(幼名松若丸)は数え九歳にして、比叡山の僧侶となるため天台座主の慈鎮和尚の元を訪ねました。
 すでに日暮れがせまっていたため、慈鎮和尚は、
「今日はもう遅いので、明日あらためて得度式を行いましょう」
と提案します。すると、まだ幼い松若丸はこの歌を詠み、その志の高さからその場で得度の儀式が行われたと伝えられています。

 私たちは「明日のことはわからない」と口では言いながら、その実「明日はある」と疑うことなく日暮らしをしています。しかし、華やかに咲き誇る桜も夜のうちに嵐が来たならば儚く散ってしまうように、私たちのいのちのありようも風前の灯のごとく明日の保証はどこにもありません。だからこそ仏法は思い立った今聞くことが大切なのです。
 今聞いて、今助かる、確かなお救いの話です。
2025年4月
 

「受け止める 大地のありて 椿おつ
                          武内洞達
 椿の花は桜のように花びらを散らさず、花ごとポトリと落ちます。その様子はどこかいのちの終わり、儚さを思わせますが、このやがて落ちてゆく花を確かに受け止めてくれる大地があった、その安心が詠まれています。
 作者の洞達師は、落ちた椿の花をあたかも地面に咲く新たないのちとして見られたのかも知れません。
 あるお寺のご住職が、この句を受けて次のように詠み替えられたそうです。
「受け止める 大地のありて 椿咲く」
 受け止める大地に安んじて、椿はいのちの限り咲きほこっているのでしょうか。
 親鸞聖人は自らを地獄行きの身と受け止めておられました。しかしその落ちていくいのちを決して落とさぬと願い、しっかりと受け止めて下さるお慈悲の大地があったのです。そしてこのいのち終えて落ちた所は、蓮華の台に仏と咲くお浄土なのでした。
 私たちは覚りという高みを目指して上っていくのではありません。どこまでも落ちるこの身が、差し伸べられた阿弥陀さまの御手の中に受け止められてゆくのです。
2025年5月
 

「人の真実は何にて知りぬべき 涙の外あるべからず
                          沢庵宗彭

 たくあん漬けの考案者としてお馴染みの沢庵和尚の言葉です。

 私たちは大きな悲しみに苛まれた時、涙を流すことで心が落ち着いたり、共に泣いてくれる誰かの涙に癒されたりします。たくさん涙した人は、それだけ多くの喜びや悲しみに気づける人なのかも知れません。

 感情によって涙を流すのは人間だけと言われていますが、この感情的な涙のメカニズムは、どうやら脳の中の「共感」をつかさどる部分が関係しているそうです。

 この共感の心にこそ人の真実があるとするならば、他者の喜びも悲しみも我が事と感じる仏様の心こそが真実と言えましょう。阿弥陀様は私のいのちに共感して、誰よりも涙を流して下さった仏様です。

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