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2024年4月
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「他力といふは 如来の本願力なり」
         親鸞聖人『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』


「他力本願」というと、現代では「他人まかせ」という意味で用いられることが多いですが、本来は阿弥陀如来の願いから起こるはたらきを指す言葉です。
​「他力」とは「利他力(他を利する力)」という意味で、ここでいう「他」とは他者のことではなく、阿弥陀様が救いの目当てとする衆生、つまりは「私」の事です。

 この私を浄土へ生まれさせ、尊い仏としたいという阿弥陀様のはたらきを「他力」あるいは「本願力」と言います。

 私たちが地に足をつけて歩くことができるのは、支えて下さる大地があるからです。他力に支えられてこそ、私たちは他人まかせにせず、自らの人生を力強く歩んで行けるのです。
2024年5月​

「不思議とは凡夫が仏になることよ」                             
                           蓮如上人 


 ある時、お弟子の法敬坊が言いました。

「蓮如上人様が書かれた南無阿弥陀仏の名号が火事で焼けましたが、六つの文字が六体の仏となって昇って行きました。不思議なことがあるものです」 
 
​ すると、蓮如上人は、

「それは不思議でことではない。南無阿弥陀仏はもともと声の仏様なのだから、仏が仏になるの当然の事。不思議とは凡夫が仏になることを言うのだよ」

 私たちは、道理や理屈のわからないことに不思議という言葉を使います。しかし「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というように、手品や超常現象のような一見不思議なことも、理屈が分かってしまえば何も不思議ではなくなります。本当の不思議とは「思義できない」ことですから、そもそも道理や理屈でははかれないものです。

 たとえば、私が両親の間に生まれてきたことは、歴史的、生物学的な理屈ならば説明可能ですが、「なぜこの両親の間に生まれて来たのか」は説明のしようがありません。それこそ不思議なご縁としか言いようがないのです。 

 本来仏になれない凡夫が、お念仏ひとつで仏になるということも、人間の理屈で思いはかることはできません。「凡夫を仏にしたい」と願われた阿弥陀様の不思議なおはからいによると、ただ仰ぐばかりなのです。
2024年6月

「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀
 つれてゆくぞの 親のよびごえ」
​                          
原口針水
 
 私が「南無阿弥陀仏」とお念仏すると、私の耳に「南無阿弥陀仏」と聞こえます。この聞こえてくるお念仏を、親鸞聖人は阿弥陀様の喚び声と味わっておられます。阿弥陀様は遠くから「こっちへ来いよ」と呼んでいるのではなく、私の身の内から声を通して喚びかけて下さっているのです。
 
 昔から浄土真宗の門徒は阿弥陀様を「親さま」と呼び親しんできました。親が子にそそぐ無条件の愛情を仏様のお慈悲に重ねて、阿弥陀様を「いのちの親」と呼んだのです。
 
 子から離れた所にいる親は「つれてゆく」ことはできません。子の一番近い所にいればこそ、親は抱いて抱えて「つれてゆく」ことができるのです。
 お念仏申すということは、この親の喚び声を、私が称え聞くことでありました。
2024年7月
 
「完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握り拳は存在しない」
​                            釈尊

 
お釈迦さま最晩年のお言葉。体調を崩され、涅槃が近いことを自覚した師に、いつも側につき従っていた弟子のアーナンダは最後の説法を請います。それに対してお釈迦さまは次のように仰いました。
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「アーナンダよ。修行僧たちは私に何を期待するのか。私は内外のへだてなしにことごとく理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握り拳は存在しない」
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 覚りの智慧と慈悲をそなえたブッダには、握り隠して出し惜しみするようないかなる教えもないことを、お釈迦さまは厳しく諭されています。貴賤善悪、敵味方も超えて、あらゆるいのちに対して欠け目なく開示された教えが仏法なのでした。
2024年8月
 
「蟪蛄(けいこ)は春秋を識らず、この虫あに朱陽の節を知らんや」   
​                          曇鸞大師

 
 元は荘子の言葉で「蟪蛄」はセミのこと。夏の間だけ地上に現れ、秋を待たずに死んでしまうセミは春や秋を知りません。春や秋を知らないということは、自分が今夏(朱陽の節)を過ごしていることも知り得ないという意味です。
 
 私たちは生きている今を知っているつもりでいます。しかし自分がどこから来てどこへ往くのか、我がいのちの来し方行く末を知らない私は、夏を知らないセミのように、実は今生きているということも本当には分かってはいないのかも知れません。
 
 夏を知らずともセミが間違えることなく夏に羽化するのは、そうさせるはたらきがあるからです。自らのいのちのあり様を知らず、どこへ往くかも定められない私が、この度お浄土に生まれることができるのは、私のいのちを知り抜いた阿弥陀さまがいて下さるからです。
2024年9月
 
「月影のいたらぬ里はなけれども 
ながむる人の心にぞすむ」   
​                          法然聖人
 
 
親鸞聖人の師である法然聖人が詠まれた歌です。

 月の光は地上をあまねく照らします。しかしその柔らかな光が心に宿るのは、それを眺めた人だけです。
 阿弥陀さまの智慧の光も同じように、全てのいのちを分けへだてなく照らして下さいますが、月に背を向けていてはその姿を目にすることはできません。

​ 仏の光に出遇ってはじめて私の心に智慧のともしびが灯り、もはや生死の闇に迷うことはなくなるのです。それはいつも仏さまがご一緒の、お浄土への明るい道行きです。
2024年10月
 
「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」   
​                          良寛禅師
 

 こちらは良寛さん辞世の句として有名です。

 紅葉の葉に裏表があるように、人間にも裏表があります。社会生活を営む上で、私たちは外面を取り繕い、他人にはさらせぬ心を隠し合っているお互いではないでしょうか。
 しかし臨終に至ったとき、そこにはもはや裏も表もありません。裏も表も見せながら散る紅葉のように、良寛さんの心には「ありのまま」という安らぎがあったのかも知れません。 

 阿弥陀さまは、私の裏も表もご存知です。他人には心を見透かされたくないものですが、阿弥陀さまに見抜かれていることは安心です。私の底の底まで見抜いた上で「決して捨てない」と喚びかけて下さるのですから。
2024年11月
 
「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ
」   
​                          親鸞聖人

 
 親鸞聖人のお手紙にあるお言葉です。
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 人として生きるからには、世の安穏を願うことは当然のことと思えます。しかし、もし心が大きな不安や心配事、激しい怒りに惑わされているときに、他者のしあわせや世界の平和を心から願うことが出来るでしょうか。
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 親鸞聖人は「浄土往生が不安な人は、まず我が身の往生を考えてお念仏申しなさい。我が身の往生間違いなしと思われる人は、仏のご恩に報いるためにお念仏申して、世の中が安穏であるように、仏法が広まるようにと思われるのが良いでしょう」と仰せです。
​
 世の安穏のためには、どれだけ制度や仕組みを整えても、そこに生きる人々の心に安らぎがなければ根本的な解決にはなりません。一人ひとりがお念仏を喜び、仏法が行き渡ったところにこそ、真に安穏なる世界が実現するのでしょう。
2024年12月
 
「人身受け難し いますでに受く
 仏法聞き難し いますでに聞く
」   
​                          礼讃文

 
 ある時、お釈迦さまはガンジス川の砂を掴み、弟子の阿難に言いました。
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「この世にはガンジス川の砂の数くらい無数のいのちが存在するが、人間に生まれてくるのは、この手のひらに乗るほどに過ぎない」
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 さらにお釈迦さまはその砂を爪の先に乗せ、
​
「せっかく仏法を聞くことのできる人間に生まれても、正しい教えに出遇える者は、これほどしかいないのだよ」と仰いました。
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 私たちは受けがたき人間の身を既に受け、聞き難き仏法を既にお聞かせいただいています。これは誠に希有なことなのです。
2025年1月
 
「道徳はいくつになるぞ
 道徳、念仏もうさるべし
」   
​                          蓮如上人

 
 元旦、京都の勧修寺村に住む道徳というお同行が蓮如上人の元を訪れました。道徳はおそらく形式的な新年の挨拶をしたのでしょう。それに対して蓮如上人が仰ったのがこの言葉です。
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 この時、蓮如上人79歳、道徳74歳。
 当時は数え年ですから、新年を迎えることは一つ歳を重ねるということでした。年明けのめでたい気分でいた道徳さんは肝を冷やしたかも知れません。
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「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり(御文章)」。
 歳を重ねたからではありません。誰もが「明日あり」とは限らない老少不定の境涯を生きているからこそ、今このいのちの行方、確かなお救いを聞き、お念仏をいただかなければならないのです。
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 さて、あなたはいくつになりましたか。
 お念仏申しましょう。
2025年2月
 

「鬼はおらん 鬼をつくる心がこっちにある」
                          仲野良俊

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「鬼は外、福は内」と大きな声で唱えながら鬼に豆を投げる節分の行事。ここで言う鬼とは誰の事でしょうか。
 世間には「鬼みたいな人」という言い回しがありますが、この表現の前には「私にとって」という言葉が省略されています。私の外側に鬼がいるのではありません。その人を自分の都合で鬼と思う私の心があるのです。
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 島根県の妙好人、浅原才市さんは、自身の穏やかな表情で合掌する肖像画を見て、「これは私の顔じゃない」と頭に鬼の角を描かせたといいます。
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 外に鬼を見ているうちは、自分のことは見えません。才市さんは阿弥陀さまから喚び続けられていた自身の中に鬼を見たのです。「鬼は外」ではなく「内は鬼」だったのです。
 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏の声となって、「鬼の心を持つあなたこそが、私の目当てだよ」とが告げて下さっています。
2025年3月
 

「明日ありと思う心のあだ桜 
  夜半に嵐の吹かぬものかは」
                          親鸞聖人
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 親鸞聖人(幼名松若丸)は数え九歳にして、比叡山の僧侶となるため天台座主の慈鎮和尚の元を訪ねました。
 すでに日暮れがせまっていたため、慈鎮和尚は、
「今日はもう遅いので、明日あらためて得度式を行いましょう」
と提案します。すると、まだ幼い松若丸はこの歌を詠み、その志の高さからその場で得度の儀式が行われたと伝えられています。
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 私たちは「明日のことはわからない」と口では言いながら、その実「明日はある」と疑うことなく日暮らしをしています。しかし、華やかに咲き誇る桜も夜のうちに嵐が来たならば儚く散ってしまうように、私たちのいのちのありようも風前の灯のごとく明日の保証はどこにもありません。だからこそ仏法は思い立った今聞くことが大切なのです。
 今聞いて、今助かる、確かなお救いの話です。
2025年4月
 

「受け止める 大地のありて 椿おつ」
                          武内洞達
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 椿の花は桜のように花びらを散らさず、花ごとポトリと落ちます。その様子はどこかいのちの終わり、儚さを思わせますが、このやがて落ちてゆく花を確かに受け止めてくれる大地があった、その安心が詠まれています。
 作者の洞達師は、落ちた椿の花をあたかも地面に咲く新たないのちとして見られたのかも知れません。
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 あるお寺のご住職が、この句を受けて次のように詠み替えられたそうです。
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「受け止める 大地のありて 椿咲く」
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 受け止める大地に安んじて、椿はいのちの限り咲きほこっているのでしょうか。
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 親鸞聖人は自らを地獄行きの身と受け止めておられました。しかしその落ちていくいのちを決して落とさぬと願い、しっかりと受け止めて下さるお慈悲の大地があったのです。そしてこのいのち終えて落ちた所は、蓮華の台に仏と咲くお浄土なのでした。
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 私たちは覚りという高みを目指して上っていくのではありません。どこまでも落ちるこの身が、差し伸べられた阿弥陀さまの御手の中に受け止められてゆくのです。
2025年5月
 

「人の真実は何にて知りぬべき 涙の外あるべからず」
                          沢庵宗彭
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 たくあん漬けの考案者としてお馴染みの沢庵和尚の言葉です。
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 私たちは大きな悲しみに苛まれた時、涙を流すことで心が落ち着いたり、共に泣いてくれる誰かの涙に癒されたりします。たくさん涙した人は、それだけ多くの喜びや悲しみに気づける人なのかも知れません。

 感情によって涙を流すのは人間だけと言われていますが、この感情的な涙のメカニズムは、どうやら脳の中の「共感」をつかさどる部分が関係しているそうです。

 この共感の心にこそ人の真実があるとするならば、他者の喜びも悲しみも我が事と感じる仏様の心こそが真実と言えましょう。阿弥陀様は私のいのちに共感して、誰よりも涙を流して下さった仏様です。
2025年6月
 

「雨の日を悪い天気といいますが、こちらの都合が悪いのです。」
                           豊島学由
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 こんなお話があります。
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 あるお茶屋のお婆さん。晴れていると「晴れてしまった」と嘆き、雨なら雨で「雨が降ってきた」と嘆いていた。和尚さんが理由を聞けば、お婆さんには二人の息子がいて、長男は傘屋、次男は靴屋で働いているという。晴れたら長男の傘が売れず、雨なら次男の靴が売れないと、いつも泣いているのだった。  
 和尚さんが「あべこべに考えたらどうか。晴れの日は靴が売れ、雨の日は傘が売れると思えば、どちらも良い天気じゃろう」と提案すると、お婆さんは安心して、その後は嘆くこともなくなった、ということです。
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 もともと天気に良い悪いはありません。こちらの都合で勝手にレッテルを張っているだけです。
 お釈迦さまがお生まれになった時、甘露の雨が降りそそいだと伝えられていますが、敬虔な仏教国であるブータンの人々は、お寺参りで雨に降られても「恵みの雨」として喜び、あえて濡れてゆくそうです。
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 雨には雨の良さがある。ジメジメした毎日ですが、こちらの都合はひとまず置いておいて、梅雨の風情に思いを向けたいところです。
2025年7月
 

「お念仏したら 仏様に遇える」
 
「たら」、「れば」がついたら浄土真宗ではない、と教わったことがあります。
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 念仏称えたら長生きできる。念仏称えれば願いが叶う。念仏申したらお浄土へ行ける。念仏したら救われる、仏になれる──これらはお念仏をこちらの願いを叶える手段や条件にしているわけで、他力のお念仏ではないというのです。
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 南無阿弥陀仏とは「必ず仏にする」という阿弥陀さまの喚び声であり、あらゆる仏さま方が阿弥陀さまを讃えているお声です。阿弥陀さまのお救いには何一つ条件はありません。仏さまのはたらきが声となり、私の口をついて現れているのがお念仏なのでした。
 お念仏を申せば、私の耳に「南無阿弥陀仏」と聞こえます。それは声の仏さまに今出遇っているということです。
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 そう考えると「たら」、「れば」がついても浄土真宗で一つだけ言えることがありました。「お念仏したら、仏様に遇える」。これだけは間違いのないことでした。
2025年8月
 

「過去は変更も否定もできない」
                           福田亮成
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 これまでの人生で誰にでも忘れたいような過去はあるもの。しかし、時間を巻き戻せない限り起こってしまったことは変更が利きませんし、どんなに都合が悪いことも「なかったこと」には出来ません。
  
 また、過去の結果として今があり、今の結果として未来があるというのが仏教的な時間の見方ですから、過去はなくなってしまうものでもありません。過去は現在の中にあるのです。
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 では過去というのはアンタッチャブルなものなのかといえばそうでもありません。起きた事実は変えられませんが、その意味が変わることはあります。
 過去の辛い経験が思い返せば今の糧となっていることがあるように、受け止め方が変わることで過去の意味は変わり、そして未来へと生かしていくことも可能になるのです。
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 過去を振り返っているのも未来に期待しているのも「今」の私です。今の私が変われば過去も未来も変えてゆくことができるのです。
2025年9月

「一夜にして成功するには十年掛かる」

                        ウディ・アレン
 
 アメリカの映画監督、ウディ・アレンの言葉です。一見、下積みもなく一夜にして成功をおさめたような人も、その背景には長い努力や経験の積み重ねがあるのでしょう。
 
 親鸞聖人は、
「念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終の一念の夕べ大般涅槃を超証す」と仰っています。

 お念仏を喜ぶ人は、いつどこで臨終を迎えようとも、その瞬間に覚りの仏となると言うのです。それは私たちに下積みの功徳があるからではありません。阿弥陀様の果てしないご修行による功徳が私たちに恵み与えられるからです。
​ この度私を仏とするために、阿弥陀様は兆載永劫という果てしない時間を掛けられたのでした。
2025年10月

「お助けの月は まんまと映って下されました」

                        三河のおその
 
 三河国の妙好人、おそのさんの言葉です。
 ある時、越中の正慶という学僧が三河を巡回し、法話をして回られたことがありました。いよいよ最後の法座が矢矧川のほとりのお寺で開かれ、おそのは挨拶に上がり正慶に形見の言葉を請います。すると正慶はこのたび洪水で流れた矢矧川の橋の話を切り出しました。
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「あの橋は、なかなか流れそうもない丈夫な橋であったがのう」
「それでございます。このたびの洪水は近年にないそれは大変なものでございまして、あの丈夫な橋もとうとう流れてしまいました」
「そうであったか。しかし、橋は流れても天上から映ってくる月影は、よもや流されはせぬであろうがの」
「ありがとうございます。お助けの月はまんまと映って下されました」
 二人は共に喜んでお念仏を申したということです。
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 人のこしらえたものはどんなに丈夫でもあてにはなりません。ですが、たとえ橋が流されても水面に月が映えるように、私の心がどんなに散り乱れていようとも、南無阿弥陀仏というお助けの光は確かに映って下さいます。
2025年11月

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば 
 ひとへに親鸞一人がためなりけり」

                          親鸞聖人
 
 阿弥陀さまはまだ法蔵菩薩という修行者であった時、あらゆる世界の有様をご覧になって、どうすれば全てのいのちを救うことができるのか、五劫という果てしなく長いあいだ思案された、とお経には説かれています。その上で建てられた願いがご本願、南無阿弥陀仏のお念仏ひとつのお助けです。
​
 親鸞聖人はこの阿弥陀様の願いが私ひとりを目当てとしたものであったと仰っています。何だか阿弥陀様の願いを独り占めしているようにも聞こえますね。
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 歌を聞いてその歌詞に共感するということはよくあることです。時には深く傷ついた心に深く染み入り、この詞は自分のために書かれたのではと思うことはないでしょうか。
​
 親鸞聖人はご本願を聞いて、自分こそが阿弥陀さまを悩ませた張本人であったと述懐されたのです。是非「親鸞」の所を自分の名前に置き換えて、このお言葉の意味を味わって頂ければと思います。
2025年12月

「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ

                          小林一茶
 
 一茶の代表作『おらが春』の最後の句です。「あなたまかせ」の「あなた」とは阿弥陀如来のこと。
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 一茶の生涯は苦難の連続でした。幼くして母を亡くし、継母との折り合い悪く、相続問題にも悩まされます。五十路を過ぎて結婚をしますが、生まれて来る子には次々と先立たれてしまうのです。
『おらが春』は、二人目の子である娘さとが、数え二歳にして天然痘で亡くなる前年から書かれており、幼い娘への愛おしさと、愛する娘との別離の悲しみが一冊の句集に収められています。
​
『おらが春』の序文には「ことしの春もあなた任せになんむかへける」とあります。一茶にとっては年のはじめから終わりまで、いや一生涯が阿弥陀さまにお任せだったのでした。それは苦難の人生を共に歩んで下さる、いのちを任せきれるみ親がいてこその、安心の言葉であったと思うのです。
2026年1月

「日出でてまさに夜明くるものなり」

                          親鸞聖人
 
 ある時、親鸞聖人がお弟子たちに尋ねました。
「夜が明けて太陽が出るのか、それとも太陽が出たから夜が明けるのか」。
 弟子たちは人々が普通思っているように「夜が明けて後に太陽が出ます」と答えます。すると聖人は「そうではない、太陽が出たから夜があけるのだ」と仰いました。
​
「太陽が出たから夜が明ける」。
 聞けば当たり前のことのようですが、ともすると私たちは夜の闇が去った後に明るくなると思っていないでしょうか。太陽が昇らなければ夜は明けません。夜を明けさせる、闇を払うのは太陽のはたらきであって、夜や闇はどこかへ去ったわけではなくそのままです。夜や闇の側に明るくする力はないのです。
​
 同じように、私たちの無明の闇を払うのは私のはからいではなく、阿弥陀さまの智慧の光です。この光に出遇えたからこそ、私たちは無明煩悩を抱えたままに「夜が明けた」と喜べるのです。
2026年2月

「上り坂も下り坂も 一つの同じ坂である」

                        ヘラクレイトス
 
 人生には三つの坂がある。一つは上り坂、二つめは下り坂、そして三つめがまさか──披露宴などでよく聞く挨拶です。まさに人生は「まさか」の連続ですが、このヘラクレイトスの言葉は、私たちにもう一つの視点を与えてくれています。
​
 この世界にはそれこそ無数の坂があります。しかし上りだけ、下りだけという坂は存在しません。下から見れば上りですし、上から見れば下りになるだけです。
​
 さて、仏道というと、私が頑張って修行をして覚りという高みへ上っていく、上り坂というイメージがありそうです。ところが、阿弥陀さまがご覧になった私はというと、一歩も坂を上れないどころか、坂道をどこまでも転がり落ちていく有り様でした。その転げ落ちるばかりの私を、阿弥陀さまは坂の上(覚りの世界)で見ていられずに、私の所まで降りてきて受け止めて下さるのでした。
​
 私からは上り坂でも、阿弥陀さまからは下り坂。他力の仏道は下り坂の仏道でありました。
2026年3月

「ああ辛と 言うは後なり唐辛子」

                          利井鮮妙
  
 唐辛子を口にすれば、思わず「ああ辛い」という言葉が出てきます。それは唐辛子の「辛い」という性質が、私の舌に作用して「辛い」と感じさせ、「辛い」と言わせたのです。つまり「ああ辛い」と言ったのは後であって、その前に唐辛子の辛くさせるはたらきが届いていたと言えるでしょう。
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 お念仏も私が「南無阿弥陀仏」と称えるのは後です。私が称える前に、阿弥陀さまの「南無阿弥陀仏」というはたらきが届いているから、この口からお念仏が出てくるのです。
​
 もしお念仏が先で、それに応じて後から阿弥陀さまがお助け下さるとすれば、それは「辛い」と言った後に口が辛くなるというおかしな話になります。私が称えるより先に「南無阿弥陀仏」が届いていた。これを親鸞聖人は「本願招喚の勅命」、阿弥陀さまのよび声と言われたのでした。
2026年4月
 
「追いかけ追いつき追い越し、迎え取って下さる阿弥陀様」
                           深川倫雄

 
 犬を飼っている方はご存知と思いますが、どうやら犬は散歩中にフンをするポイントが決まっているようで、私が昔飼っていた柴犬はいつも坂の途中でフンをするのです。すると落ちたフンは坂道をコロコロと転がって行ってしまい、いつも私はそれを追いかけることになります。
​
 追いかけながら拾うことはできませんし、どれだけ「待て待て、こっちへ来い」と言っても、転がっていくフンは向かってきてはくれませんから、私は追いかけ追いつき、追い越して、転がって来るフンを迎え取るのでした。
​
 阿弥陀さまは摂取不捨(おさめ取って捨てない)仏さまです。この「摂取」について、親鸞聖人は次のように詳しく述べておられます。

「摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。摂はをさめとる。取は迎へとる」

 どこまでも逃げていく私を、追いかけ追いつき、追い越して、迎え取って下さるのが阿弥陀如来という仏さまのおはたらきなのでした。
2026年5月
 
「知識は外にあるものを知ることで 智慧は自分を知ることである」
                           山本仏骨
 

 万物の霊長を自負する人間は、実に多くの知識を蓄えてきました。それはまさに自分の外側にあるものを知り尽くそうとする歩みで、言わば科学の領域と言えましょう。
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 一方で人間は自分の心にも目を向けました。
 私とは何者なのか、何のために生まれて来たのか。このいのちはどうなっていくのか。科学は客観的分析こそ得意ですが、こうした「私」という主観的な存在の意味を教えてはくれません。ここに応えるのが哲学や宗教といった領域なのでしょう。
​
 この言葉にある「智慧」とは仏さまの覚りの智慧(仏智)のことです。仏智に照らされて初めて私は私を知るのです。目は外のものは見えますが、私自身を見ることは出来ません。私を見るには鏡が必要です。仏さまの智慧を鏡として自分を知る。これが人間として生まれた大きな意味と言えるでしょう。
2026年6月
 

「人の傷を見て笑うのは 傷の痛みを知らない奴だ」
                        シェイクスピア 
​
 シェイクスピアの代表作『ロミオとジュリエット』より。
​
 ケガをして泣いている我が子を見て笑う親はいないと思います。それは親がケガの痛みを知っているだけでなく、子の痛みを自分の痛みとして共感しているからでしょう。
​
 仏様の慈悲の「悲」は梵語の「カルナ―」に由来します。これは共感を意味する言葉で、他者の喜びを我が喜びとし、他者の痛みを我が痛みとする心です。
 阿弥陀様が仏様になられたのは、自分ではどうにもならず迷い続ける衆生の姿をご覧になったからでした。衆生の痛みを他人事でなく自身の痛みとして共感されたからこそ、何とか助けたいといつもはたらき掛けて下さっているのです。
​
阿弥陀様は凡夫の苦悩やいたらなさを見ても笑うことはありません。ただ哀れみ悲しんで、ひたすら救おうとされる仏様です。
2026年7月
 

「知らぬ道 知ったふりして迷うより 
​ 聞いてゆくのが ほんの近道」

                            道歌 
​
 山道で迷った時のセオリーは「来た道を戻る」ことだと言います。ところが私たちは、それまで歩いた努力を無駄にしたくないので「この道が正しい」と思い込み、なかなか戻れないのだそうです。これはまさに知ったふりをして迷いを深めている有様と言えます。
​
 仏教は「あなたは迷っている」と教えます。
「今現在も迷いの中であり、そのままならこの先も迷い続けていくよ」と。それなのに、当の本人はいのちの来し方行く末を知っているように振舞い「死んだら無になる」などとうそぶいたりします。迷っている者がいのちの問題を知ったかぶりしていたら、いつまでも迷い続けるしかありません。
​
 迷いから脱するには、正しい道を知っている人に聞く必要があります。仏教とは、迷いを離れる正しい道を覚られた、お釈迦様の教えを聞いてゆくことなのです。
2026年8月
 

「芸術とは 私たちに真実を悟らせてくれる 嘘である」
                        パブロ・ピカソ 
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 自身が生涯をかけてきたものを嘘と言い切るところに、ピカソの芸術に対する姿勢をうかがい知ることができます。人の作った物は真実そのものではなく、真実を伝える手立てであると。
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 仏教には「指月の譬」という譬えがあります。月の明かりを教えるのに月を指さしたとして、その指し示す指は月そのものではないということです。
 月を真実とすれば、指は経典にあたります。お経は真実を伝える言葉であって、真実そのものではありません。「辛い」と言っても口が辛くならないように、言葉はその指し示すもの自体ではないのです。
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 では南無阿弥陀仏という名号も、言葉であるからには真実ではないのでしょうか。
 中国の曇鸞大師は「真実そのものであるような名があるのだ」と言われます。つまり南無阿弥陀仏は単なる言葉や名前ではなく、法(真実)と一体であるような名であるから、私たちを仏にする力があるというのです。
 
 人間の言葉は真実と別ですが、仏の名のりである南無阿弥陀仏は、私の口から現れる真実そのものなのでした。
2026年9月
 

「お経が有難いのは 訳が分からないからです」
                           永六輔
 
 永六輔さんは元浅草にある浄土真宗のお寺の生まれです。幼い頃からお経に親しんでいたはずの六輔さんが「お経は訳が分からない」と言ったのは単なる皮肉やユーモアではないはずです。

 お経の言葉自体は、今では現代語訳もありますから誰でも理解できます。問題はその説かれてある内容が私たちの理解を超えているということなのでしょう。

 善人が救われて悪人は地獄に落ちる。これが私たちの常識的な考え方です。しかし阿弥陀様は「悪人をこそ救う」と誓われた仏様なのです。私が理解できる話では悪人の私は救われません。
​ 私の理解を超えた仏様の願いによればこそ、仏とならせていただけるのです。
2026年10月
 

「名月を とってくれろと 泣く子かな」
                           小林一茶
 
 きれいな月を見て「あれを取って」とせがむ子どもの様子が、ほほえましく詠まれています。この俳句が味わい深いのは、子を愛でる親の心情が伝わってくるからではないでしょうか。

 何も分からない子に対して、親は取れない理屈を言って理解させようとするでしょうか。無理を言うわが子がいっそう親心を呼び覚まし、分からない子をそのままに受け止めるはずです。
​ その大きな親心の中にあればこそ、子は安心して愚図り、泣くことができるのでしょう。

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