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仏説阿弥陀経①「一番身近なお経
 
 今回から『仏説阿弥陀経』を拝読してまいります。
 浄土真宗が拠り所とする浄土三部経(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)の一つで、この中で一番短いお経であることから『小経』と略されることもあります。

 一説では、我が国で最も多くお勤めされているお経はこの『阿弥陀経』なのだそうです。浄土宗・浄土真宗など浄土系の宗派は当然として、『法華経』を所依の経典とする天台宗でも通夜葬儀に際しては『阿弥陀経』が用いられるとうかがったことがあります。先立っていった方々や、我がいのちの行方を思うとき、私たちは全てのいのちを平等に迎え取る浄土の世界が説かれた経典に心を寄せてきたのでしょう。

『仏説阿弥陀経』の「阿弥陀」とは阿弥陀様のことですが、『仏説無量寿経』の「無量寿」も阿弥陀様をあらわしています。
「アミターバ(無量光)・アミターユス(無量寿)」という二つの意味を持つインドの原語を、そのまま漢字に音写したのが「阿弥陀」で、「限りないいのち」という一方のお徳を中国語に翻訳したのが「無量寿」です。

『仏説阿弥陀経』とは、「仏さまが覚りの智慧の世界からお説き下さった阿弥陀様についてのお経」という意味です。
仏説阿弥陀経②「スダッタの寄進
 
 それではさっそくお経の内容に入って参りましょう。

「このように私は聞かせて頂いた。あるとき、お釈迦様が舎衛国(しゃえこく)の祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)においでになった」

 多くの経典と同様に、阿弥陀経は「如是我聞」のご文から始まります。この「私」とは、いつもお釈迦様のおそばで説法を聞かれていた「多聞第一」の阿難(アナン)尊者です。

「舎衛国」はインド北部にあったコーサラ国の首都。そこに須達多(スダッタ)という裕福な者がいて、彼は孤独で貧しい人々に施しをしていたことから「給孤独」長者と呼ばれていました。

 須達多は隣国のマガダ国へ行った際にお釈迦様の説法を聞いて、ぜひ自国の人々にも聞いて欲しいと寺を建てる決意をします。
 彼はふさわしい土地として、舎衛国の王子である祇陀(ギダ)太子が所有する森を買い受けようとしますが、太子は意地悪く「金を敷きつめた分の土地をやろう」と難題を言いつけます。ところが須達多は何の躊躇もなく全財産を投げうって金を敷き始めたため、太子もその志に感動し、快く土地と樹々を寄進したということです。

 この地は二人の名から「祇樹給孤独園」と名付けられました。ここが『平家物語』でも有名な「祇園精舎」であり、数多くのお経の説法の場となりました。
仏説阿弥陀経③「阿説示との邂逅
 
「お釈迦さまは千二百五十人のすぐれた弟子たちとご一緒で、この方々はみな徳の高い阿羅漢として世に知られていた」

「阿羅漢」とは供養を受けるにふさわしい聖者のことで、続いて代表的なお弟子や菩薩、諸天の名前が挙げられます。

「長老の舎利弗をはじめとして、摩訶目犍連・摩訶迦葉…薄拘羅、阿ぬ楼駄などのすぐれたお弟子たちや、文殊師利王子…状精進菩薩のようなすぐれた菩薩がた、釈提桓因などの諸天の大衆も一緒であった」

 このお経の聞き手は一番初めに出てくる舎利弗(しゃりほつ)尊者です。二番目の摩訶目犍連(目連尊者)と並んで、お釈迦様のお弟子のツートップと言えるお方でした。二人は幼馴染で、お釈迦さまと出会う前は同じ師の元にいましたが、共にその教えに満足できず、真の師を求めていました。

 ある時、舎利弗は素晴らしい姿の修行者(阿説示)を見かけます。舎利弗が「誰の教えを受けているのか」と尋ねると、阿説示はお釈迦さまの弟子であることを告げ、教えの一端を説きました。すぐさまその真理性を見抜いた舎利弗は、目連と共に250人の弟子を連れてお釈迦さまに帰依したと言います。

 二人は後に智慧第一の舎利弗、神通第一の目連として、お釈迦さまから厚い信頼を受けました。
仏説阿弥陀経④「西方極楽浄土
 
 経文の続きです。

 その時お釈迦様が長老の舎利弗に仰せられました。
「ここから西の方、十万億の仏の国々を過ぎたところに世界があって、極楽と名づけられてある」

 阿弥陀さまの浄土は西と定められています。
 これは、いのちのふるさとへ想いを向けやすいように、お釈迦さまが太陽も月も沈んでゆく西に浄土があると示して下さったのです。

 また「十万億の仏の国々を過ぎたところ」と、浄土への距離も表されています。
 地球上では方角と距離が決まればおおよその場所が定まります。東京から京都を思い浮かべるとき「だいたい西の方へ500キロくらいのところ」とイメージするように、私たちはお浄土を想うことができます。

「極楽」とは阿弥陀様がご用意された「極楽浄土」のことです。
「浄土」は「穢土」に対する言葉で、煩悩を離れた清らかな世界を表しています。これは仏さまの数だけ無数にあるのですが、阿弥陀様のお浄土は梵語で「スカーヴァティー」といい、特に「極楽」「安楽」「安養」などと訳されます。

 このように、お経では私たちの理解に合わせて、本来は姿や形を超えたさとりの世界を、名前のある具体的な場所として説いてあるのです。
仏説阿弥陀経⑤「極楽の楽
 
「その極楽に阿弥陀と申し上げる仏がおられ、いま現に法を説いておいでになる。舎利弗よ、かの国をなぜ極楽と名づけるか。その国の人々、何の苦もなく、いろいろの楽を受けるからだ」

 私たちはこの世にある限り避けようのない苦を抱えて生きています。お釈迦様はそれを生苦・老苦・病苦・死苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を合わせて四苦八苦と示されました。
 極楽はこのような苦しみの一切から解放され、もろもろの楽を享受できる世界であるといいます。

 ここで言う「楽」とは私たちが思う世間的な快楽ではありません。
 人は自分にとって都合の良いことに楽を感じ、都合の悪いことに苦を感じます。この「自分の都合」というとらわれを越えて、あらゆるいのちに共感し、しあわせを願い喜べることが極楽の楽です。

 ひとのしあわせを心から喜び、ひとの苦しみを我が事として悲しみ慈しむのが仏様のお心。それに対して、ひとのしあわせをねたみ、ともすればひとの苦しみに喜びを感じるような、まことに身勝手な心を持っているのが私たちではないでしょうか。
 
 阿弥陀様が理想とされ、ご用意下さった極楽浄土とは、この娑婆とは真逆の世界と言えるでしょう。それは人間の煩悩を離れた限りない智慧と慈悲の世界です。
仏説阿弥陀経⑥「飾られた宝物
 
「また舎利弗よ。その極楽には、七重の欄楯(らんじゅん)と七重の羅網(らもう)と七十の行樹(ごうじゅ)がある。みんな四つの宝でできて、いたるところに巡り囲んでいる。それゆえに極楽という」

 欄楯とは欄干や手すり。羅網は保護網。行樹は並木のことで、いずれも浄土のいたるところを七重に囲んでいます。またそれぞれが四つの宝(金・銀・ルビー・珊瑚)などで飾られているというのです。
 これらは、極楽浄土という世界がいかに大切に守られているかを示していますが、もちろんこの欄干や網や並木は他者を排斥するためにあるのではないでしょう。防犯のための囲いに宝を飾ることはないからです。

 私たちの世界で、町の欄干や並木に金銀やルビー、珊瑚のような宝が飾られていたらどうなるでしょうか?
 恐らくは数日のうちに持ち去られ、どこかへ隠されてしまうはずです。これは私たちが宝の価値を金銭的価値に置き換えているからで、仕舞われてしまっては本来の宝の輝きは発揮されません。

 お浄土では宝が宝のままに輝き、誰もそれを盗んだり独り占めしたりはしないのです。宝の持つ本来の輝きや価値を誰もが等しく享受できるからこそ極楽と言われるのでしょう。
仏説阿弥陀経⑦「八つの功徳の水
 
「また舎利弗よ、極楽には七宝の池があって、八種の功徳をそなえた水がなみなみとたたえられている」

 八種の功徳とは、お経や注釈書によって違いはありますが、
㈠清潔、㈡臭くない、㈢軽い、㈣冷たい、㈤軟らかい、㈥美しい、㈦飲みやすい、㈧お腹を壊さない、等です。

 お釈迦様の時代のインドを考えると、きれいな水というのは大変貴重であったことが想像されます。私たち現代人は蛇口をひねれば飲める水がいくらでも出てくるという便利な生活を当たり前のように享受していますが、裏を返せば水の有難みというものを忘れてしまいがちです。

 富士山のような水道の通っていない高所へ行くと、飲み水はわざわざ麓から運んでこなければならず、雨水も生活用水として一滴も無駄にできません。そのような制限された状況では、ただの水がこの上なく美味しく感じられ、登山で疲れた体に沁み通っていくことでしょう。

 同じ水であっても、私たちは置かれた状況で有難くも感じ、無駄に捨てもします。極楽浄土の水が尊い功徳を持つということは、一切のはからいを超えて、水の尊さ有難さを感じることのできる世界であることを示しているのではないでしょうか。
仏説阿弥陀経⑧「浄土の宝石
 
「池の底には、一面に黄金の砂が敷きつめられ、その四辺には、金・銀・瑠璃・玻璃で組み合わされた階道がある。その階道を上がると、楼閣があって、それもまた金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲・赤珠・碼碯などで美しくかざられている」

 お浄土は眩いばかりの宝石に飾られた煌びやかな世界として説かれています。これは我々凡夫が浄土を想い、生まれたいと願うように表現されているというのですが、それはどういう意味を持つのでしょうか。

 現代では宝石の価値は主に貴重性にあります。家の庭からダイヤモンドがゴロゴロ出たら、いくら美しくても誰も好んで身に着けはしません。貴重であるから高価な値段で取引するし、駆け引きや奪い合いが起こったりもするのです。
 しかしかつて太古の人間が宝石に魅了せられたのは金銭的価値にではありませんでした。よく宝石の美しさ素晴らしさを表現するのに「見ていると吸い込まれそう」言うように、宝石本来の美しさや輝きが、私たちを惹きつけてきたはずです。

 浄土における宝石の輝きは、凡夫の欲望を刺激するためではなく、私たちの心を引き付ける清らかなはたらきとして、往生を願うよう表現されたものと言えるでしょう。
仏説阿弥陀経⑨「泥中の蓮華
 
「池の中の蓮華は大きさ車輪のごとし」

「車輪のごとし」の車輪とは荷車の車輪でしょうから、かなりの大きさです。
 お寺の本堂や、お仏壇のご本尊をご覧になると、阿弥陀様の足元には必ず蓮の華の台があります。この蓮華はただの飾りではなく、仏様のはたらきを象徴する大切な意味合いがあるのです。

『維摩経(ゆいまきょう)』というお経には「高原の陸地には蓮華を生ぜず。 卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず」とあります。
 蓮華は爽やかな高原には生えず、泥の中からその美しい姿を現します。しかも泥の中に生えながら、全くその泥に汚されません。このことから、蓮華は煩悩にまみれた娑婆世界にあって、その煩悩に染まらず私たちを救いとる仏さまのはたらきを表すのです。

 親鸞聖人は正信偈の中で「善人も悪人も、どのような凡夫であっても、阿弥陀仏の本願を信じれば、仏はこの人をすぐれた智慧を得た者であると讃え、汚れのない百蓮華のような人とお褒めになる」と示されています。

 煩悩を抱えた泥凡夫が、凡夫のままに仏さまから「蓮華のごとし」と褒め讃えられる身となるのです。それは私が立派になったからではなく、阿弥陀様のお心が私に届き、ご信心の華を咲かせるからに他なりません。
仏説阿弥陀経⑩「それぞれの色に輝く
 
「青色の花には青い光、黄色には黄色い光、赤色には赤い光、白色には白い光があり、いずれも清らかな香りを放っている」

 かつて『みにくいアヒルの子』という小学校を舞台にした学園ドラマがありました。

 岸谷五朗さん演じる担任教師のクラスで、写生で描かれたある少女の絵が問題となります。海を臨む景色を描いた絵の色合いがおかしいと言うのです。
 太陽が青に、木が紫、水が赤に塗られていることをクラスメイトから指摘され、教師たちも児童の精神状態が影響しているのではと心配します。実際この子の母親は家を出て行ってしまい、父親と二人暮らし。少女は小さな心を痛めているのでした。

 ドラマ終盤で「こんな絵みんなに見られたくない」と少女は川に絵を捨てます。すると先生は川へ飛び込み絵を拾って叫ぶのです。
「お前が描きたいと思って描いた絵なら、世界中敵に回しても先生はこの絵に百点満点つけてやる」。
 少女は泣きながら色の意味を打ち明けました。木の色はお母さんのセーターの色。水の色はお母さんの好きな色、太陽の色はお母さんを思い出して──。一つ一つの色は少女の溢れる想いだったのです。

 私たちは個々のいのちが放つ色に勝手な意味づけをして価値判断してはいないでしょうか。阿弥陀様はどんな色であっても、それぞれの色がそれぞれのままに光り輝く世界としてお浄土をご用意下さいました。
仏説阿弥陀経⑪「浄土の音楽
 
「また舎利弗、かの仏国土には、つねに勝れた音楽が奏でられている」

 以前、築地本願寺のパイプオルガン・ナイトタイムコンサートに呼ばれて、演奏前に法話をさせていただいたことがあります。通常ですと閉門後で参拝できない時間帯です。本堂内はシンとした独特の雰囲気に包まれます。
 そのような中で聴く音楽は、ⅭⅮやテレビ、またコンサートホールとも違った味わいがありました。それはお寺の本堂という宗教的な空間が醸す場の空気なのでしょう。

 音楽は人の心を揺さぶります。静かな旋律に心安らぐかと思えば、激しいリズムが闘争心を鼓舞することも。また深い悲しみが一つの歌で癒されることはなかったでしょうか。
 浄土の音楽がどのようなものであるかは想像するしかありませんが、それはあらゆるいのちを迎えたいという阿弥陀様の願いが込められた、素晴らしい響きであるはずです。

 お寺は宗教儀礼を行う場所ですから、内陣の装飾、仏華や灯明、お香の香り、さらに言えば、お給仕をする僧侶の足音までも、お浄土の荘厳と思えます。そうした宗教的な場が、雅楽の調べ、声明や読経、何よりお念仏の声と相まって特別な空気を生み出すのです。
 お寺にお参りの際はぜひ身体全体でお浄土の荘厳を体感して頂きたいと思います。
仏説阿弥陀経⑫「黄金の大地
 
「そして大地は黄金からできていて──」

『仏説阿弥陀経』の異訳である『称讃浄土経(玄奘訳)』には「極楽世界浄仏土の中に周遍せる大地は、真金もて合成す。其に触るるに柔軟香潔なり」と説かれています。お浄土の大地は黄金でできていて、それは軟らかく清らかであるということです。

 黄金はいつまでも変わらず輝き続けます。科学的に非常に安定しているため、鉄のように錆びることもなければ銀や銅のように色あせることもありません。
 エジプトでは何千年も前の装飾品が当時と変わらない美しさで発掘されたりしますが、このことは時間を超越した浄土の徳を思い起こさせます。

 また金は軟らかくて加工しやすいという性質があります。
 人間が獲得した金属加工技術で真っ先に思い起されるのは、刃物や武器ではないでしょうか。固い金属は木や動物の肉を切り、敵を傷つけるのに役立ちます。
 ここで「黄金の大地は軟らかい」と説かれているのは、全てのいのちを傷つけることなく受け止めていけることを示しているのかも知れません。さらにいえば、柔軟な大地は地震などの変動によっても崩れることなく、私たちを支えてくれるはずです。もちろん、お浄土に地震があればの話ですが。
仏説阿弥陀経⑬「供養とは
 
「(極楽浄土では)昼夜六時に天の曼陀羅の花が降り注ぐ。その国の人々は、清々しい朝になると花皿にそれらの花を盛って、他の国々の十万憶の仏がたに捧げ供養される」

 お浄土の方々は、色美しく芳しい香りの花を数限りない浄土の仏さまに供養されます。

「供養」という言葉は、一般的には「追善供養」を指すようです。私の善い行いで積んだ功徳を、亡きお方に回し向けるという意味で「追善回向」などとも言います。
 しかし浄土真宗ではこの追善供養は行いません。いえ、行えないのです。我が身をも救えない私が、どうして他者を救うことができるでしょうか。

 親鸞聖人は「父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候らわず」と語られたそうです。浄土真宗では善行も回向も阿弥陀さまがなされることですから、私たちはそれをただ頂くばかりなのです。

 また、お釈迦さまは「理法に従って実践し、法に従って行っている者こそ、最上に供養する者だ」と仰っています。お釈迦さまの教えに従うということは、私たちにとっては阿弥陀さまの「かならず救う」の仰せに従ってお念仏申すことです。

 私が仏法を喜び、お念仏申す身になることこそ、お浄土に生まれて行った方々の願いであり、仏さまへの本当の供養と言えましょう。
仏説阿弥陀経⑭「浄土の食事
 
「(お浄土の方々は諸仏を供養したのち)食事の時までには帰って来て、食事を摂ってからしばらくの間はそのあたりを静かに歩き、身と心を整える」

 ここでの表現は、お釈迦様在世当時の生活になぞらえて説かれています。出家修行者たちは朝に托鉢を行い、そこで供養された食物を午前中に食べます。基本的に午後は食事を摂りません。仏道を歩むために、捧げられたいのちをそのままいただくのです。

 さて、お浄土の方々は諸仏を供養し、法を聞いて自国に帰ってきます。ここでは「食事」となっていますが、お浄土の食事は私たちの考える食事とは違うそうです。
『仏説無量寿経』には「お浄土は思うままに食事が現れるが、実際に食べる者はいない」と説かれ、また、親鸞聖人が尊敬された天親菩薩が書かれた『浄土論』には、「仏法の味わいを楽しみとして、禅三昧を食事とする」と記されています。

 お浄土の食事とは食物を摂取することではなく、諸仏よりお聞かせいただいた仏法を味わうことなのです。そして、法を聞いた喜びに満ちた中で辺りを散歩し、身と心を整えます。

 私たちも、今生で尊いご縁によりお念仏のみ教えをお聞かせ頂きました。喜びの中でよくよく味わわせて頂きたいものです。
仏説阿弥陀経⑮「功徳荘厳の世界
 
「舎利弗よ、極楽にはこのようなすぐれた功徳が荘厳されているのである」

「このような」とは、これまで見てきたお浄土の様子です。素晴らしい音楽が流れ、大地は黄金でできていて、昼夜問わず「曼陀羅華」の華が舞い散り、人々は器にその華を持って他の仏様の元へ供養に行き、その教えを楽しみます。

 これらは、ただどこかにある世界の説明をしているのではありません。お浄土とは阿弥陀様の功徳が荘厳された世界だからです。
「功徳」とは善い行いの結果に得られる果報のこと。「荘厳」は麗しく身と国土を整えることです。阿弥陀様はあらゆるいのちを救うために、五劫の間思案され、願いを起こし、兆載永劫というとてつもなく長いご修行をされました。その善行によって、阿弥陀様の願いが成就し、浄土が誕生したのです。

 阿弥陀様はさらに、ご自身が得た功徳の全てを衆生に振り向ける(回向する)ことを第一とされました。その回向された姿が「南無阿弥陀仏」の名号です。
 つまりお浄土もお名号も阿弥陀様の功徳が成就した姿で、どちらも「阿弥陀様の願い(本願)」を淵源とするおはたらきです。お浄土は私が願う世界ではなく、阿弥陀様が願われた世界なのです。
仏説阿弥陀経⑯「浄土の鳥たち
 
「また次に舎利弗よ、かの国にはいつも色とりどりの珍しい鳥がたくさんいる。すなわち、白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命鳥などがそれである」
 ここでは六羽の鳥が紹介されています。白鵠(白鶴のこと)、孔雀、鸚鵡(おうむ)、舎利(九官鳥のこと)は実在の鳥ですが、迦陵頻伽(かりょうびんが)と共命鳥(ぐみょうちょう)は浄土に住むという伝説上の鳥です。
 迦陵頻伽は非常に鳴き声の美しい鳥で、卵の殻の中で既に声を発するそうです。その声は法を説き述べる仏様の声に譬えられます。
 共命鳥は双頭の鳥で、その特徴的な姿から経典では様々なエピソードが語られます。大枠としては、片方の頭が良かれと思ってしたことをもう一方が逆恨みし、毒を食べさせて殺そうとした所、身体を共有しているのでどちらも死んでしまうというストーリーです。
 智慧がない者は物事の本質を見誤り、恨みの心を起こします。私たちも勝手な思い込みから恩を仇で返したりしていないでしょうか。
 この話は「自業自得」の教訓話としても味わえますが、もっと深い所では「いのち」のつながりを教えているとも言えましょう。この世に私と無関係なものは何一つありません。他者を傷つけることは己を傷つけることであり、他者を活かすことは己を活かすことです。
仏説阿弥陀経⑰「法を聞けよ
 
「浄土の鳥たちの声は、そのまま、五根・五力・七菩提分・八正道分などの尊い法のしらべとなっている。そこで、その国の人々はこの音色を聞いて、みなすべて仏を念じ、法を念じ、僧を念ずるのである」

「五根・五力・七菩提分・八正道分」とは、覚りにいたるための実践方法のことです。
 浄土は阿弥陀様の兆載永劫のご修行によって成就した世界であることは既に述べました。浄土の鳥たちがこれらの実践方法を説き述べていることは、阿弥陀様の尊い実践によって浄土が成ったこと、南無阿弥陀仏のお救いが完成してはたらいていることをほめ讃えていると味わうことができます。これら鳥たちの讃嘆を聞いて、浄土の方々は仏法僧の三宝を念じておられるのです。

 鳥の美しい鳴き声は私たちに仏法を聞く心を呼び起こすのでしょうか。蓮如上人は「ホーホケキョ」と鳴く鶯の声を聞いて、鳥さえも「法を聞けよ」と催促していると喜ばれたそうです。
 また七高僧の第六祖、源信和尚は、仏法を聞くことのできる人間に生まれながら、耳を塞いで一生を過ぎることは「宝の山に入って、何も持たずに帰るようなものだ」と仰っています。この宝とは言うまでもなく、南無阿弥陀仏のお救いのことです。
仏説阿弥陀経⑱「いのちの平等
 
「舎利弗よ、そなたはこれら浄土の鳥が罪の報いとして鳥にうまれたのだと思ってはならない。なぜなら、かの仏の国には地獄・餓鬼・畜生の三悪道はないからである。その仏の国には三悪道の名さえもない。ましてそのようなものが実体としてあるはずはない。これらのさまざまの鳥はみな、阿弥陀仏が説法を流布するために神通力をもって現されたものにほかならない」

 阿弥陀様は四十八願の最初、第一願において、地獄・餓鬼・畜生の存在しない浄土を願われています。ではなぜ、阿弥陀経で説き述べられる浄土に畜生道を生きるとされる鳥たちが登場するのでしょうか。  
 お釈迦様は、これらの鳥は罪の報いで畜生に生まれたのではないと仰います。彼らはただの鳥ではなく、私たちに教えを説くために、あえて身近な姿、聞きやすい音声の鳥という姿を取っておられる阿弥陀様だと言うのです。

 近年は動物愛護の考えが広まり、「いのちは平等」と言っても違和感のない世の中になりました。しかし、いまだ私たちは潜在的に人間以外の動物を劣った存在として見下す心を持っていないでしょうか。
 平等なる世界にはいのちの貴賓はありません。「鳥が私に教えを説く」というお釈迦様のご教説、よくよく味わわせて頂きたいと思います。
仏説阿弥陀経⑲「調和する世界
 
「舎利弗よ、またかの仏の国にはそよかぜが吹きわたり、多くの宝の並木や網飾りを揺り動かして美しい音色を奏でている」

 親鸞聖人は、
「清風宝樹ふくときは 
 いつつ音声いだしつつ
 宮商和して自然なり 
​ 清浄薫を礼すべし」とご和讃されています。

 五つの音声とは、和音階の宮・商・角・徴・羽のことで、宮はド、商はレにあたります。ピアノの鍵盤でドとレを同時に鳴らすと不協和音になります。それがお浄土では自然に調和して清らかな音色を奏でるというのです。

 さて、確かに隣り合ったドとレを同時に鳴らすと音は濁りますが、この二つが非常に綺麗に響くときがあります。それは、ド・ミ・ソの和音にレの音が加えられた時です。テンションと呼ばれる音遣いで、ポップスやジャズのアレンジでは欠かせません。隣り合ったドとレではぶつかってしまう音が、調和した和音の中では美しく響き合うのです。

 お浄土は自他の境を越えた調和の世界ですから、個々のぶつかり合いが転換されて妙なる音声に調和されるのでしょう。その音色を聞く者は、誰でもが自然に仏法僧を念ずる心を起こすようになるといいます。
仏説阿弥陀経⑳「念仏の衆生とは
 
「舎利弗よ、かの仏をなぜ阿弥陀仏と申しあげるのか、そなたはどう思う?」

 阿弥陀とは、インドの言葉である「アミターバ」「アミタ―ユス」に漢字を当てたものです。分解すると
「ア(無)・ミータ(量)・アーバ(光)」と
「ア(無)・ミータ(量)・ア―ユス(寿)」となります。
 つまり、阿弥陀様は「量り無き仏さま」「光といのちに限りがない仏さま」です。

 親鸞聖人は、
「十方微塵世界の 
 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば
 阿弥陀となづけたてまつる」(浄土和讃)
と、阿弥陀さまのお徳を讃えておられます。

 このご和讃、このまま読むと「念仏する者を救う」という意味に取れますが、阿弥陀さまのお救いに分け隔てはありません。「念仏したら助ける」という仏さまではないのです。
​ 親鸞聖人の味わいでは、南無阿弥陀仏のお念仏は阿弥陀さまの喚び声であり、仏さまそのもの。つまり「念仏の衆生」とは阿弥陀さまの目当てである「私」のことです。
 この私という存在を底の底まで見抜いて「決して捨てはしない」と喚びかけて下さる仏さまを「阿弥陀」と申し上げるのです。
仏説阿弥陀経㉑「かたちなき智慧のはたらき
 
「舎利弗よ、かの仏は光明に限りがなく、十方のあらゆる国々を照らして、何ものにも妨げられることがない。それゆえ、阿弥陀と申し上げるのである」

 親鸞聖人は『一念多念文意』の中で、
「この如来は光明なり。光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり」と、光明は仏さまの智慧を表すと示されます。そして智慧には「かたち」がないというのです。
 形があれば大きさやはたらきが限定されてしまいます。しかし仏さまのはたらきは、私たちの限定された認識を超えてどこまでも届くのです。

 また仏さまの智慧は形なきがゆえに、何ものにも妨げられることがありません。
 私たちが仏になる最も大きな妨げは悪業煩悩です。しかしながら、阿弥陀さまの智慧の光はいかなる悪業煩悩も妨げとはならずに、常に私たちを照らして下さいます。
 そのお心を「正信念仏偈」では、
「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇(たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇なきがごとし)」とお示し下さっています。
 
 私がどんなに厚い雲のような煩悩を抱えていようとも、阿弥陀さまの智慧のはたらきがある限り、真っ暗な闇の世界を生きることはないのです。
仏説阿弥陀経㉒「限りなきいのちの仏」
 
「また舎利弗よ、かの仏の寿命とその国の人々お寿命も共に限りなく、実にはかり知れない無限の長い時間にわたっている。それゆえ、阿弥陀と申し上げるのである」
 
 阿弥陀さまの寿命には限りがありません。それは、この私がどれほど長い間迷いの中にいようとも、決してあきらめず捨てない限りなきお慈悲を表しています。
 
 息子がまだ小さかったころ、母親の外出中に案の定ぐずりだしました。しばらくは何とか騙しだましあやしていましたが一向に泣き止みません。ついには「お母さんはどうして僕を置いて出て行っちゃったの?」と人聞きの悪いことを言い出しました。私は思わず「お父さんもお母さんも、いつも一緒にいられるわけじゃないんだよ」という言葉が喉まで出かかって飲み込みました。 
 
 どれだけ愛おしい我が子であっても、いつまでも一緒に過ごせるわけではありません。出会った者同士は必ず別れの時がおとずれます。そう思ったとき、阿弥陀さまが「限りない寿命をそなえた仏になる」と誓われたお心が偲ばれました。
 限りないいのちがなかったら、この者を救うことができない。なにがあろうとも浄土へ渡し、自らと同じ無量寿のいのちをもった仏にしてみせる。そのお慈悲の心が「阿弥陀(無量寿)」の意味なのです。
仏説阿弥陀経㉓「弥陀成仏のこのかたは」
 
「舎利弗よ、この阿弥陀仏が仏になられてから、今日まですでに十劫という久しい時が過ぎている」

 劫という単位が、限りなく長い時間をあらわすことは既に述べてきました。阿弥陀さまが十劫という昔に仏さまとなられている──このことは、私のいのちがどれ程永く迷いの生死を繰り返して来たとしても、つねに阿弥陀さまのお慈悲の中であったことを教えてくれます。
 また、十劫もの間、阿弥陀様のおはたらきを受けていながら、それに背を向け続けてきた私のあり様も示しているのです。

『仏説無量寿経』には、ある国王が修行者(法蔵菩薩)となり、ご苦労の末に阿弥陀という仏になったという弥陀成仏の経緯が説かれてあります。この「成仏から十劫を経た」という表現は、阿弥陀さまは私を救うために、過去のある時点で確かに仏となったお方であることを伝えようとされているのでしょう。

 ただ、親鸞聖人はご和讃で
「弥陀成仏のこのかたは 
 いまに十劫とときたれど 
 塵点久遠劫よりも 
​ ひさしき仏とみえたまふ」と仰っています。

 阿弥陀さまはもともと永遠の仏さまであるが、私たちにお救いを知らせるために、十劫の昔に成仏したという限定のお姿を示されたのだと味わわれています。
仏説阿弥陀経㉔「浄土の住人」
 
「また舎利弗よ、かの仏のもとには数限りない声聞の弟子たちがいて、みな阿羅漢のさとりを得ている。その数の多いことはとても数えつくすことはできない。また、菩薩たちの数もそれと同じく実におびただしい」

「声聞(しょうもん)」とはお釈迦さまの教えを直接聞いて修行する者のこと。つまり阿弥陀様のお救いにまかせず自力修行をする方々なのですが、ここではお浄土に「数限りない声聞の弟子たち」がいると示されています。
 自力のはからいが廃れなければ、阿弥陀さまの願う真実のお浄土に生まれることはできませんから、これは自らの功徳を当てにして仏道を歩む者であっても、阿弥陀さまの本願のはたらきによって他力念仏の教えに導き入れられ、やがてはお浄土に迎え取られることを表しているのです。
 
親鸞聖人はご和讃で、
「安楽声聞菩薩衆
 人天智慧ほがらかに 
 身相荘厳みな同じ 
 他方に順じて名をつらぬ」(浄土和讃)
と詠まれています。

 浄土のお方には「声聞・菩薩・人・天」等の名がありますが、みな阿弥陀さまと同じさとりを得られた方々です。一味であるはずの浄土の聖衆方に名の別があるのは、どのような立場の者も等しく救われる、浄土の妙義を説こうとされているのです。
仏説阿弥陀経㉕「おさとり間違いなし」
 
「また舎利弗よ、極楽世界に生まれる人々はみな不退転の位に至る」

「不退転」とは覚りの境涯から退くことのない立場を言います。
 仏になることを目指す菩薩には五十二の階位があって、不退転は四十一番目の初地という位からと言われます。ここまでくれば、もう迷いの世界には戻らない喜びから、これを歓喜地とも言います。

 ただし不退転の位に届いた者であっても、その後に最大の難関があります。それは四十七番目の七地において、あらゆるものに実体がないという「空(くう)」の理に堕して、大乗仏教の要である自利利他円満の躍動性を失ってしまうことです。これが「七地沈空の難」で、「空だ空だ」と言って覚りを求める心も失ってしまうため「菩薩の死」とも言われます。
 しかし中国の曇鸞大師は、それも阿弥陀さまのお浄土ならこの難はないと仰っています。

 ところで親鸞聖人は、この不退転をお浄土ではなく現生で語られます。阿弥陀さまの摂取不捨のお心に出遇い、真実信心を得たところに、私たちは不退転の身とならせていただくと言うのです。
 煩悩具足の凡夫である私たちが不退転の立場にいるというのは、全てが阿弥陀さまの持ち分だからです。私を不退転たらしめるものは私の心持ちではなく、私を仏にしたいと願う阿弥陀さまのお心なのです。
仏説阿弥陀経㉖「還相の菩薩」
 
「不退転に住する者には、一生補処(いっしょうふしょ)という位の菩薩たちも沢山いる。それらの数はいずれも非常に多く、とても数え尽くすことができない。ただ無限の長い時間をかけてのみ、はかり知ることができるほどである」

「一生補処」とは、次の生で仏さまの立場を補う方のことです。例えば、弥勒菩薩は現在兜率天にてご修行中で、五十六億七千万年後に仏となり、お釈迦さまの後を継がれる一生補処の菩薩さまです。

 阿弥陀さまは四十八願の第二十二願において、お浄土に生まれた者を一生捕処の位に至らしめると誓われました。そしてお浄土で仏となった者は、その覚りのままに菩薩の位に降りて、今度は迷える衆生を救済するはたらきをされます。これを還相の菩薩と言い、お釈迦さまは、これらの菩薩は数えきれないほど多くいらっしゃると説かれるのです。

 親鸞聖人は師の法然聖人を勢至菩薩の生まれ変わりと仰いでおられました。また妻の恵信尼公とは、内心お互いを菩薩と敬い合っていました。
 たとえ真実信心を得ても、この「私」はどこまでも煩悩具足の凡夫であります。その凡夫を救う還相の菩薩さまに、私たちは気づかずとも導かれているのかも知れません。
仏説阿弥陀経㉗「またあえる世界」
 
「舎利弗よ、このように尊い浄土のありさまを聞く者は、ぜひともかの国に生まれたいと願うがよい。そのわけは、かような多くのすぐれた聖者たちと、共に一処に会うことができるからである」

 お寺の墓地で正面に「倶会一処」と刻まれたお墓を目にしたことはないでしょうか。これは『仏説阿弥陀経』のこの部分から取られたご文で「くえいっしょ」と読みます。

 浄土は先に生まれて往かれた方々と共に会うことのできる世界だと、お釈迦さまはお説き下さっています。
 お墓はご遺骨を納めると共に、亡くなられた方を偲ぶ場所です。墓前で懐かしい方のことを思う時、そこに刻まれた「また会う世界がある」とのお言葉は、何とも心強く、あたたかな気持ちにならないでしょうか。
 「死んだらおしまい」ではないのです。「死ぬ」のではなく「生まれて往く」、そして「また会える」のです。

 先立たれた方が今どこで何をされているか、残念ながら残された私たちには、それを見通す目がありません。しかし「南無阿弥陀仏」とお念仏申すとき、その声の響きはお浄土からのおはたらきとして、この耳に聞こえてきます。
「倶会一処」は未来だけの話ではありません。私たちは、お念仏を通して今ここで仏さまと出会っているのです。
仏説阿弥陀経㉘「仏の叫び」
 
「しかしながら舎利弗よ、自分で積むようなわずかな善根功徳の因縁では、とても彼の国に生まれることはできない」

 中国の善導大師は「頭についた火を払い消すほど必死に行を積んだとしても、凡夫の行いは毒の混じった善行であって、その功徳をもって浄土に生まれることは不可能である」と述べられています。
 なぜなら、私たちは外見をいくら賢く善い行いをしているように見せていても、内面には虚仮不実であり、貪り、怒り、よこしまな心、偽りの心、人をあざむく心が限りなく起こっているからです。

 それに対して、阿弥陀さまは法蔵菩薩という修行者であったとき、その行を修するにあたって一刹那も真実の心でなかったことはないとお経に記されています。真実の心でもって積み上げられた功徳だからこそ、この私を浄土へ生まれさせる力があるのです。

 親鸞聖人は「凡夫は仏さまのような真実心は持ち得ない」と明かされました。だからこそ、阿弥陀さまは疑いなき真実の心で「南無阿弥陀仏(我にまかせよ)」と喚びかけて下さっているのです。そのお心を受け入れた所がご信心を得たということです。
 お念仏とは、ひたすら私を救うことに掛かりきった仏の心の叫びであったのです。
仏説阿弥陀経㉙「臨終まつことなし、来迎たのむことなし」
 
「舎利弗よ、もし善男・善女があって、阿弥陀仏のいわれを説くのを聞き、その名号を保って、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心に思いを乱さないなら、その人の臨終には阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れて下さるのである。そこで、その人は命の終わる時まで心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽に生まれることができる」

 ここでは念仏申す者の姿が説かれてあります。
「一心に思いを乱さない」の「一心」とは信心のことです。信心を得てお念仏申す者には、臨終のときに阿弥陀さまが聖者を連れて迎えに来て下さるというのです。これを臨終来迎と言って、他宗派ではこれを重視します。つまり仏の来迎の有無が往生の可否を示すので、来迎をあらわす儀式を執り行うのです。

 しかし親鸞聖人は、この臨終来迎とは一生懸命お念仏して往生しようという自力の者のために仮に説かれた教えであって、真実信心を得たならば、その人は必ず覚りを得る身に定まるので、「臨終まつことなし、来迎たのむことなし(親鸞聖人御消息)」と仰っています。
 
 臨終に際して一心に心を乱さずお念仏できる人は稀でしょう。他力のお救いは、私の心持ちや行いを何一つ要求しないのです。
仏説阿弥陀経㉚「本当の利益」
 
「舎利弗よ、私はこのような利益のあることをよく知っているから、このことを説くのである。もし人々の中でこの教えを聞く者があるなら、ぜひとも願いを起こしてかの国に生まれるがよい」

 これまでお釈迦さまが説かれたお浄土の荘厳、お浄土に生まれた方々の荘厳、そして衆生がお浄土で仏となること、その功徳全てが南無阿弥陀仏の名号におさめられ、今私に利益として恵み与えられています。
 それは、日ごろ私たちが求めているようなご利益ではないかも知れません。凡夫が願い求めるのは、世俗の価値にとらわれた、やがて失われていくものばかりだからです。阿弥陀さまはそのことを見抜かれて、お釈迦さまのご説法を通して、決して失われることのない、本当の利益を伝えて下さいました。それは、お浄土で覚りのいのちに生まれ、限りない智慧と慈悲をそなえた仏になることが決定することひとつです。

『仏説無量寿経』には「全ての仏がたは、阿弥陀さまのすぐれた功徳をほめたたえておられる」と説かれています。十方諸仏の中で阿弥陀さまだけが、あらゆるいのちにとっての本当の利益を見極め、一切条件を付けずに恵み与えるお救いを成就されたのです。
仏説阿弥陀経㉛「諸仏の証明」
 
「舎利弗よ、私が今、阿弥陀仏の不思議な功徳をほめたたえているように、東方の世界にも、また阿閦鞞仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏などの恒河の砂の数ほどの諸仏がおられ、おのおのその国で広く三千大千世界を覆うほどの舌相を示して、この教えの真実であることをお説きになり、〈世の人々よ、どうか『不可思議の功徳を称讃したまふ一切諸仏に護念せらるる経』を信ずるがよい〉と仰せられている」

 ここからは「六方(東南西北下上)段」と呼ばれる部分が始まります。全ての方角におられる、ガンジス川の砂の数ほどの仏さま方が、南無阿弥陀仏の不思議な功徳をほめてたたえていらっしゃる様子を、お釈迦さまが説いていかれます。
『不可思議功徳一切諸仏所護念経(不可思議の功徳を称讃したまふ一切諸仏に護念せらるる経)』は『仏説阿弥陀経』の別名ですから、言わばここからが阿弥陀経の中心部分と言えますが、紙面の都合上、一々の仏さまの紹介は省かせて頂きます。

『仏説無量寿経』の第十七願で、阿弥陀さまは諸仏の称讃を誓っておられます。その誓いの通りに、お釈迦さまをはじめとした、あらゆる仏さま方が、南無阿弥陀仏の功徳をほめたたえ、お念仏の声を響かせているのです
仏説阿弥陀経㉜「無問自説の教え」
 
「舎利弗よ、なぜこれを『一切諸仏に護念せらるる経』と名づけるのか、そなたは一体どう思う。舎利弗よ、もし善男・善女でこのように諸仏がおほめになる阿弥陀仏のみ名と、この経の名を聞く者があるならば、これらの善男・善女はみな全ての仏がたに守られて、無上の覚りから退くことのない位を得られるからである」

『仏説阿弥陀経』には、舎利弗に対するお釈迦様の問いかけが何回か出てきます。ただそのどれもが舎利弗の答えを待たずに、お釈迦様ご自身が答えを述べられるのです。
 阿弥陀経は「無問自説経」といわれ、問いなくお釈迦さまが自ら説かれた珍しいお経で、その内容においても聞き手である舎利弗の言葉は一言も出てきません。ただ黙ってお釈迦様のお言葉を聞いておられます。

「舎利弗よ、舎利弗よ」とお釈迦さまは舎利弗尊者ひとりに語り掛けているように見えますが、お経のはじめに「大比丘の衆、千二百五十人と倶なりき」とあったように、この説法の場には多くの弟子たちだけでなく、名だたる菩薩や天人もご一緒でした。
 その場面を想像すると、お釈迦さまは「念仏一つ」という世に超えた教えを、舎利弗を聞き役に仕立てることで、その場にいたすべての者に伝えようとされたのではないかと思うのです。
仏説阿弥陀経㉝「間違いない証拠」
 
「それゆえ舎利弗よ、汝らは皆、ぜひとも私の説くこの教えと、諸仏のお説きになるところを深く信ずるがよい」

 お釈迦さまは「舎利弗よ」と個人に呼びかけながら「汝ら」とその場にいる聴衆すべてに伝えようとされます。それは阿弥陀経の説法の場に居合わせた千二百五十人のお弟子方に限るものではありません。今このお経を聞いている私も、お釈迦さまが「汝」と呼びかけるご説法の対象なのです。

 お釈迦さまがお隠れになってすでに二千五百年がたちますが、私たちはお経を通して「今現在説法」のご縁にあわせて頂いています。そして阿弥陀さまのお念仏ひとつのお救いは、お釈迦様おひとりが説かれているのではなく、もろもろの仏さまが褒めたたえ、証明されています。この教えを疑いなく信じなさいとお勧め下さっています。

 私たちが仏さまの教えを聞くとき、そのお救いの確かさは何によって証明されるでしょうか。何か特別な現象であったり、喜びの心であったり、私が信じる心であったり…そういうものを証拠として握りしめたくなる思いを私たちは持っています。しかし、それらはいずれもお救いの証拠とはなりません。ただ一つ、諸仏が証明される南無阿弥陀仏のお名号だけが間違いない証拠なのです。
仏説阿弥陀経㉞「浄土往生を待ち望む心」
 
「舎利弗よ、もし人々の中で、既に願いを起こし、また今願いを起こし、あるいはこれから願いを起こして阿弥陀仏の国に生まれたいと思う者は、いずれも仏の覚りから退くことのない身となって、かの国に、既に生まれているか、また今生まれるか、あるいはこれから生まれるであろう」

 回りくどく感じるかも知れませんが、お経にはこのような表現がよく出てきます。過去・現在・未来において願いを持った者が、過去・現在・未来に往生することを、繰り返しの対比によって強調されています。
 この「願い」とは、阿弥陀様の「浄土に生まれさせたい」という願いが私に届き、ご信心となって開け起こる、「浄土往生が間違いない」と待ち望む心を指します。これを「他力の欲生心」と言い、私が浄土に生まれたいと願い求める自力の心ではありません。 
 
 親鸞聖人は、「久遠劫より流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養浄土はこひしからず候(歎異抄)」と仰っています。
 心の底から浄土を願うことが出来ないのが凡夫です。だからこそ、阿弥陀様は確かな願いを起こされ、南無阿弥陀仏と喚び続け、私に浄土往生が間違いないと言う安心の心を与えて下さるのです。
仏説阿弥陀経㉟「生まれていく先はお浄土」
 

「それゆえ舎利弗よ、多くの善男・善女で、よく仏の教えを信ずるものは、ぜひとも願いを起こしてかの国に生まれるがよい」

 この「願いを起こす」ことについて、前回これは私が願い求める自力の心ではないと言いました。この心は、私を浄土に生まれさせたいという阿弥陀さまの願いを許諾(そのまま受け入れる)する心であって、また往生を頼もしく待ち望む心のことです。

 私が願い求める心の裏には、常に疑いと不安があります。どれだけ熱心に願っても、自分の心を当てにしている限り臨終の時まで安心は得られないでしょう。浄土真宗は今ここでゆるぎない安心を賜る教えです。それは既に往生が定められてあることを聞いて待ち望む心です。

 子どもの時、夏休みを待ち望んだ経験は誰にでもあるのではないでしょうか。あと何日、あと何日と夏休みまでの日にちを指折り数えたのは、その楽しい日々が必ず来ることを知っているからです。私の心持ちや行いによって夏休みが返上されるとしたら、とても楽しみに待ち望むことは出来ません。

 人生の終わりは夏休みのように日時が定まってはいませんが、それがいつのことであろうと「生まれていく先はお浄土」と、頼もしく待ち望ませて頂きましょう。
仏説阿弥陀経㊱「仏をほめる」
 

「舎利弗よ、私が今、諸仏の不可思議功徳をほめたたえているように、かの諸仏もまた私の不可思議な功徳をほめたたえて、このように仰せられている」

「諸仏の不可思議功徳」とは、諸仏が南無阿弥陀仏の功徳を証誠(真実であると証明すること)されることです。「私の不可思議な功徳」は、お釈迦さまが南無阿弥陀仏の功徳をお説き下さったことです。

 仏さまはお互いをほめ合う関係にあります。
 お覚りを開いたお方同士ですから、お世辞も嫉妬もなく、まことの心で讃嘆をあらわすのです。人間にはまことの心がありませんから、仏さまのように讃嘆することは出来ませんが、唯一つ、私も諸仏と同様に南無阿弥陀仏の功徳をほめる方法があります。それは「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることです。

 称名の「称」の字には、ほめるという意味があります。また親鸞聖人は、称の字は「秤(ハカリ)」であり、乗せた重さがそのままあらわれる天秤ばかりのように、私の称えるお念仏は阿弥陀様の功徳そのものであると仰っています。
 お経の中でお釈迦さまは、念仏者を百蓮華のようであるとおほめ下さいます。それは、たとえお世辞を言うような凡夫の口であっても、称えられた念仏の功徳は変わらず、諸仏の讃嘆と同じであるからです。
仏説阿弥陀経㊲「いのちの長さ」
 

「釈迦牟尼仏は、世にもまれな困難を成し遂げ、この娑婆世界の劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁、命濁という濁りに満ちた悪世界にありながら、よくこの無上の覚りを開いて、もろもろの衆生のために世に超えすぐれた難信の法を説かれたものである、と」

「劫濁」とは時代の濁りで、天災や争いが増えること。
「見濁」は物の見方や価値観の濁り。
「煩悩濁」は、貪りや怒り、愚かさが盛んであること。
「衆生濁」は衆生の資質の濁り。
「命濁」は衆生のいのちが短くなることです。

 最後の「命濁」については、時代を経るごとに人間の寿命はどんどん延びていますから逆のように思えますが、これは単に生きている時間の長さを言っているのではなさそうです。
「人生は長さじゃない。深さです。幅です(金子大栄)」という言葉があるように、どれだけ長く生きようと、遇うべき仏法に遇わず、空しく一生を終えたなら、その人の寿命は全く足りていないと言えます。

 このような濁りに満ちた世界で覚りを開くことは本当に大変なことです。また人々は自分勝手に考え自分勝手に生きていますから、いくら優れた教えであっても、伝えるのはさらに難しい。諸仏方はその苦労を知るからこそ、お釈迦さまを讃辞されているのです。
仏説阿弥陀経㊳「難信の法」
 

「舎利弗よ、よく知るがよい。私はこの濁りに満ちた世界にあって、このような難しいことを成し遂げて仏となり、あらゆる世の人々のために、この尊い難信の法を説いたのである。これは甚だ難しいことであった」

 親鸞聖人が敬われた七高僧の一人、インドの龍樹菩薩は、仏道には自力による難行道と、仏力による易行道とがあるとされました。前者が陸路を歩むような困難な道であるのに対し、後者は船に乗って水路を進むように、誰もが目的地に到達できる易しい道です。
 お念仏の道は、誰もが仏になれる最も優れた易行の仏道ですが、お釈迦さまはこれを「難信の法」、信じることが難しいと説かれるのです。

 親鸞聖人は正信偈の中で、よこしまで驕り高ぶった心の衆生が阿弥陀様の他力のお救いを信じることはこの上なく難しいと仰っています。それは、自分の行いや心もちを救いの材料や手柄とする自力の心が邪魔をするからです。
 これを「疑蓋(ぎがい)」と言って、分け隔てなく降り注ぐ阿弥陀様のお慈悲を、自ら疑いの蓋をして拒絶している有様なのです。しかし、ひとたび阿弥陀様の願いに出遇ったならばこの蓋は除かれます。

 私が信じて疑いを除くのでありません。
 疑いようのないはたらきに出遇ったところが信なのです。お念仏は阿弥陀さまとの出遇いなのです。
仏説阿弥陀経㊴「真実の教えに出遇えた喜び」
 

「お釈迦さまがこの経を説き終えられると、舎利弗をはじめ多くの弟子たち、あらゆる世界の天・人・阿修羅などは、その説かれた教えを大いに喜び、信じ、恭しく礼拝して立ち去ったのである」

 この教えを聞いた者は、お釈迦さまのお弟子はさることながら、あらゆる世界の天人や人間、ひいては阿修羅に至るまで、大いに喜んだと説かれています。教えを聞いて喜ぶとはどういうことでしょうか。

 お経にはお釈迦さまが覚った内容であったり、覚りにいたる方法などが説かれています。これは私たち凡夫にとっては理解の及ばない境涯ですから、身が引き締まりこそすれ、喜びという感情はなかなか遠いような気がします。ところが多くのお経はこのように聴聞した者たちの喜びで終わっていくのです。
 それは真実の教えに出遇えた喜びであり、また聞いた者それぞれが「自分が仏になっていく道がここにあった」と心から味わっている姿なのでしょう。

『仏説阿弥陀経』に説かれているのは、阿弥陀さまのお念仏のお救いです。この説法の場におられた方々と同じように、私たちも阿弥陀さまのお心に出遇わせて頂きました。まさしく喜ばしいことであります。
仏説阿弥陀経㊵「舎利弗よ」
 

 今回で『仏説阿弥陀経』の拝読は最終回です。
 このお経は、誰かの問いや要請なくお釈迦さまが自ら語りはじめ、最後まで一方的に話して終わることから「無問自説経」と言われています。また、お釈迦さまがご生涯で数多く説かれた説法の結びの説法ということで「一代結経」とも呼ばれます。
「これだけは説いておかなければ」というお釈迦さまのお心をあらわしたご遺言のようなお経です。

『仏説阿弥陀経』に説かれているのは念仏ひとつによるお救いです。  
 この真実の教えも、私たちの側に聞き間違いがあると、親鸞聖人の明かされた他力本願の妙義が失われてしまいます。それは私がお念仏を称えて、その称えた功徳で浄土に生まれようという自力の受け止めです。
 経文に「お念仏をして一心に乱れざれば──」とある「一心」を、親鸞聖人は「信心」のことであると仰っています。表向きは自力念仏を勧めているように見える阿弥陀経ですが、その根底には他力念仏──阿弥陀様のひとりばたらきによる他力信心の念仏が説かれているのです。

 お釈迦さまはこのお経の中で、実に三十四回も「舎利弗よ」と呼びかけています。是非この「舎利弗」を皆さまご自身のお名前に置き換えて、お釈迦さまが私へ直接説かれたみ教えとしてお味わい頂ければと思います。

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