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仏説観無量寿経①「凡夫のための教え」
 
 
これまで浄土真宗が拠り所とする浄土三部経の内、『仏説無量寿経(大経)』と『仏説阿弥陀経(小経)』を拝読してきました。今回からは残りの一つ、『仏説観無量寿経(観経)』を少しずつ読み進めて参りたいと思います。
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 観無量寿経は中国の隋代から唐代にかけて多くの注釈書が掛かれ、大変人気のあったお経です。ただ注釈書がたくさんあるということはそれだけ解釈の違いもあるわけで、お釈迦様の真意がどこにあるのか様々な議論が起こりました。
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『仏説観無量寿経』はその経題が示すように、無量寿仏(阿弥陀如来)の観察(かんざつ)が説かれています。経文の大部分はその修行方法について順を追って示されていて、一見すると自力の修行が説かれた聖者のための教えに思えます。実際、中国の名だたる高僧方はこのお経をそのように解釈したのですが、それに異をとなえたのが善導大師という方です。
 善導大師は『観経四帖疏』という書物を著し、この経典は聖者のための教えではなく、自力修行では仏に成れない凡夫のための教えであると主張されたのでした。
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 親鸞聖人は善導大師を七高僧の第四祖に数え、正信偈の中で「善導ひとり仏の正意をあきらかにせり」と讃えておられます。
仏説観無量寿経②「王舎城の悲劇」
 
 次のように私は聞かせて頂いた。ある時、釈尊は王舎城の耆闍崛山においでになって、千二百五十人のすぐれた弟子たちとご一緒であった。また、文殊菩薩を中心とする三万二千の菩薩たちも加わっていた。
 その時、王舎城に阿闍世という王子がいて、提婆達多という悪友にそそのかされて父の頻婆娑羅王を捕え、七重に囲まれた牢獄に閉じこめ、家来たちに命じてひとりもそこに近づくことを許さなかった。

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 王舎城はインド北部にあったマガダ国の首都です。耆闍崛山(ぎしゃくっせん)は、その北東に位置する山で、山頂に鷲の形をした岩があることから霊鷲山(りょうじゅせん)とも言われ、ここでは『仏説無量寿経』や『法華経』など多くのお経が説かれました。
 この時、説法の場にはすぐれたお弟子方に加え、たくさんの菩薩方もおられました。
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 当時マガダ国を治めていた頻婆娑羅(びんばしゃら)王には阿闍世(あじゃせ)太子というひとり息子がいました。阿闍世はお釈迦さまの弟子であり従弟でもあった提婆達多(だいばだった)にそそのかされ、クーデターを起こして父王を幽閉します。
 この「王舎城の悲劇」といわれる事件が観無量寿経の説かれる機縁となるのです。
仏説観無量寿経③「出生の秘密」
 
 観無量寿経の発端である阿闍世のクーデターがなぜ起こったかについては、次のような因縁が伝えられています。

 阿闍世の父、頻婆娑羅王と妃の韋提希夫人は、長く跡取りを望みながら子に恵まれなかった。
 そのことを占い師にたずねると、国内の山に修行中の仙人がいて、三年後にそのいのちを終え、王の子として生まれ変わると言う。すると王はその三年を待てず兵士に命じて仙人を殺してしまった。
 仙人は恨みの言葉を残して死んだが、程なく妃は懐妊した。王が喜んで占い師に見せると、胎内の子は男子であり、やがて王を害するようになるだろうと告げられる。
 王と妃は恐れ、高楼の上から子を産み落として殺そうとするが、なぜか赤ん坊は手の指を折っただけであった。
 実際に生まれてみれば子は可愛く、王と妃は阿闍世を大切に育てたが、事情を知る者は陰で阿闍世を「折指太子」あるいは生まれながらに恨みを抱く者として「未生怨」と呼んだ。

 
何不自由なく皇太子として成長した阿闍世は親友であった提婆達多より自らの出生の秘密を聞かされます。お釈迦様の教団を我がものにしようと企んでいた提婆達多は、頻婆娑羅に代わって阿闍世が王になり、お釈迦さまに代わって自らが教団を率いようと、クーデターを持ちかけたのでした。 
仏説観無量寿経④「一仏弟子として」
 
 王妃韋提希は深く王の身の上を気遣い、自分の体を洗い清めて、小麦粉に酥密をまぜたものを塗り、胸飾りの一つ一つにぶどうの汁をつめて、ひそかに王のもとへ行き、それを差し上げた。

 クーデターを起こした阿闍世は、父頻婆娑羅を監獄にいれたまま餓死させようとします。頻婆娑羅の妻である韋提希は夫の身を案じ、ひそかに食物を届けました。

 頻婆娑羅王はこれを食べ、水で口をすすいでから合掌して恭しく耆闍崛山の方に向かい、遠く山上の釈尊に礼拝して次のように申し上げた。
「世尊のお弟子の目連尊者は私の親しい友でございます。どうかお慈悲をもって尊者をお遣わしになり、私に八斎戒をお授け下さい」
 
 目連尊者はお釈迦様のお弟子で、神通力にすぐれていたと言われます。智慧第一の舎利弗と並びお釈迦様の信頼あついお方でした。

 八斎戒とは、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)に、着飾ったりせず演劇などを見ない・贅沢な寝床を持たない・正午以降は食事しない、の三つを加えた戒で、在家信者は月のうち特定の六日間はこれを守らなければなりませんでした。
 いま頻婆娑羅は身の現状を受け入れ、王の立場を捨てて一仏弟子になろうとしたのかも知れません。
仏説観無量寿経⑤「頻婆娑羅王の充足」
 
 頻婆娑羅王の求めに応じて、目連は神通力によってまるで鷹や隼が飛ぶように速やかに王の元へ行き、日々このようにして八斎戒を授けた。
 釈尊はまた富楼那(ふるな)をお遣わしになり、王のために教えを説かせられた。その間、頻婆娑羅王は韋提希の運ぶものを食べ、尊い教えを聞くことができたので、表情も穏やかで喜びに満ちていた。

 富楼那尊者は釈迦十大弟子のひとりで、弁舌に優れていたため説法第一と言われていました。お釈迦さまは、目連と富楼那を遣わすことで頻婆娑羅王に心の平穏を授けたのでした。また韋提希の献身的な給仕によって、王は牢に閉じ込められていながらも、満ち足りて過ごすことができたのです。

 二十年近く前のことですが、インドへ仏跡参拝に言った折、王舎城の跡地とされる場所も訪れることができました。現在は更地になっていて何もないのですが、遺物として足枷が出土したため、ここが「王舎城の悲劇」の舞台であったと説明された記憶があります。
 およそ二千五百年前のかの地で、頻婆娑羅王は息子に言い訳することも、お釈迦さまに助けを請うこともなく、ただ仏の教えを聞くことに喜びを感じていたのでした。
仏説観無量寿経⑥「月光と耆婆」
 

 ちょうどその頃、阿闍世王が牢獄の門番に尋ねた。「父はまだ生きているか」
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 牢獄に閉じ込め、食料を与えなければやがて父王のいのちが尽きることは分かりきったことです。しかし阿闍世は「死んだか」とは聞かず、父の生存を確認しています。ここに、父を憎みながらも心の底からその死を望んでいない阿闍世の複雑な心情が見えます。
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 しかし門番は、母の韋提希が隠れて食料を与え、お釈迦さまのお弟子が教えを説いていることを正直に答えてしまいます。前王と妃のことですから、一門番に制止などできなかったことは当然でしょう。
 阿闍世王はこれを聞いて激怒します。
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「母は罪人だ、罪人である父の味方をするのだから。仏弟子どもも悪人だ。怪しげな術を使って父を助け、何日も生かしておくとはもってのほかだ」
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 そう言って、剣を取って母の韋提希を殺害しようとしました。
 その時、阿闍世の凶行を止める者がありました。聡明で思慮深い大臣の月光(がっこう)と、その同僚の医者である耆婆(ぎば)です。「これまで父を殺して王位についた者は多くあれど、母を殺した非道の者はいなかった」と、剣のつかに手をかけながら阿闍世を命がけで諫めようとしたのです。
仏説観無量寿経⑦「韋提希の苦悩」
 
 信頼する大臣にとがめられて、阿闍世王は驚き、恐れを抱いた。

「お前は私の味方になってくれないのか」
 耆婆が申し上あげる。
「阿闍世様、どうか母君を殺害することだけはおやめ下さい」
 阿闍世王は耆婆の言葉を聞いて、自らの行いを悔い、ふたりの大臣に許しを求めた。そしてただちに剣を捨て母の殺害は思いとどまった。しかし、阿闍世は母韋提希を王宮深くに閉じ込めてしまったのである。
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 これらのやり取りには、阿闍世王の精神的な幼さが表れているように思います。父に代わり王になったとはいえ、まだ未成熟な若者です。直情径行でありながら、年長者から厳しく諫められれば恐れを抱き、許しを求めてしまう。もしかすると阿闍世は人の言葉を敏感に受け止めてしまう素直な性格だったのかも知れません。

 この後、『仏説観無量寿経』は、息子によって幽閉されてしまった母、韋提希が主役となっていきます。
愛する息子が夫を殺そうとし、さらには自分にまでその刃を向けたのです。今、王宮深くに幽閉された韋提希の苦悩はいかばかりでしょう。この韋提希の苦悩に応える形で、観無量寿経の物語は展開していくのです。
仏説観無量寿経⑧「韋提希の要請」
 
 息子によって幽閉された韋提希は、憔悴しきって遠く耆闍崛山の釈尊に向かって礼拝し、申し上げた。

「お釈迦様、あなたは以前から阿難尊者を遣わして私をいたわって下さいました。今私は深く憂いに沈んでいます。お釈迦さまをお迎えすることは恐れ多いことですので、どうか目連尊者と阿難尊者をお遣わし下さい」

 お釈迦様に直接来てもらうのは申し訳ないので、お弟子を遣わすようにと韋提希は求めました。
 ある和上が講義で、韋提希のこの心情には彼女の凡夫性が表れていると仰っていました。なぜなら阿難尊者は大変な美男子で心優しく、女性に大変人気があったと言われているからです。王妃である韋提希も、お釈迦様の前ではさすがに緊張したのでしょう。それよりも心安くハンサムな阿難に会いたがったのです。また目連尊者は神通第一と言われた方ですから、あわよくば不思議な力で助けてもらおうと考えたのかも知れません。

 韋提希は王妃の立場で、これまでもお釈迦様の説法を夫の頻婆娑羅王と共に聞いていたはずです。しかし、何不自由ない身の上では真剣に耳を傾けはしなかったでしょう。どん底のようなみじめな境遇にあってはじめて、韋提希はみずから仏法を求めたのです。
仏説観無量寿経⑨「危急の事態」
 

 韋提希は言い終わると悲しみに涙を流し、遠く釈尊に向かって礼拝した。するとまだその頭を上げないうちに、釈尊は耆闍崛山(ぎしゃくっせん)にあって韋提希の思いをお知りになり、ただちに目連と阿難のふたりに命じて王宮に飛んで行かせ、またご自身も耆闍崛山から姿を消して王宮にお出ましになったのである。

 お釈迦さまは、韋提希の望み通りに目連と阿難を向かわせただけではなく、自ら王宮に出向いてこられました。実はこの時、お釈迦さまは耆闍崛山で法華経の説法をなさっていたと言われています。その説法を中断されてまで韋提希の元に駆け付けたのは、それだけ危急の事態と思われたからでしょう。

 韋提希が礼拝を終えて頭を上げると、そこに釈尊のお姿があった。そのお身体は金色にまばゆく輝き、様々な宝でできた蓮の花の上にお座りになっており、左に目連、右に阿難がつきそっている。そして帝釈天や梵天や四天王などが、空から一面に天の花をふらして釈尊を供養している。

 眼前のお釈迦様が突然姿を消したのですから、法華経の説法を聞いていたお弟子方は驚かれたでしょうが、それは天人たちも同じでした。これからお釈迦さまは何を説かれるのか、天の神々もお聴聞のために現れたのです。
仏説観無量寿経⑩「韋提希の愚痴」
 

 韋提希は釈尊のお姿を仰ぎ見ると、すすんで胸飾りをかなぐり捨て、その足元に身を投げ出して声を上げて泣き崩れ、申し上げた。
「世尊、私はこれまでに何の罪があって、このような悪い子を産んだのでしょうか。世尊もどういった因縁があって、あのような提婆達多と親族でいらっしゃるのでしょうか」
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 幽閉された身の韋提希にとって、地位と富の象徴である胸飾りは何の意味もありません。ただひとりの苦悩する人間として、韋提希は虚飾を捨ててお釈迦さまにすがったのです。
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 自分が息子を塔から産み落として殺そうとしたことを忘れて、阿闍世を一方的に「悪い子」と呼ぶ韋提希の姿は凡夫そのものです。そればかりか、阿闍世をそそのかした提婆達多がお釈迦さまの従弟であったことに難くせをつけて、お釈迦さまの監督不行き届き対しても恨みをぶつけるのでした。
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 その場にいた阿難は提婆達多の弟とされていますから、さぞ居心地が悪かったことでしょう。また、そばで見守っていた目連をはじめ天人たちもやきもきしたのではないでしょうか。我を忘れているとはいえ、韋提希の行いはたしなめられてしかるべきです。
 しかしお釈迦さまは何も言わず韋提希の愚痴を黙って聞いておられるのでした。
仏説観無量寿経⑪「清らかな世界」
 
 
「どうか世尊、私のために憂いも悩みもない世界をお教え下さい。私はそのような世界に生まれたいと思います。この濁りきった悪い世界にはもういたいとは思いません。この世界は地獄や餓鬼や畜生の者が満ちあふれ、善くない者たちが多すぎます。私はもう二度とこんな悪人の言葉を聞いたり、その姿を見たりしたくありません。今世尊の前には、このように身を投げ出して礼拝し、哀れみを求めて懺悔いたします。どうか世の光でいらっしゃる世尊、この私に清らかな世界をお見せください」

 地獄・餓鬼・畜生は三悪道といって、これに天・人・修羅を加えた六道の中でも特に苦しみの極まった世界です。韋提希はこれまでもお釈迦さまのご説法を聞いていて、六道についても知っていたのでしょう。しかしそれは王妃である自分とは関係のない話として聞いていたのではないでしょうか。今、自分の置かれた境遇にいたって初めて、韋提希はこの世こそ苦しみの世界と知らされたのです。

 お釈迦さまが韋提希の愚痴を黙って聞いておられたのは、すでに起きてしまった過去はどうすることもできないからです。しかし韋提希の心は、ここにきて過去のとらわれから未来へと向かいました。お釈迦さまはその変化を待たれていたのでした。
仏説観無量寿経⑫「数限りない浄土」
 
 
 そこで釈尊は眉間の白毫から光を放たれた。その金色に輝く光は、ひろく数限りない世界を照らし、元へ戻って釈尊の頭の上にとどまり、それがまた金色に輝く台の形となる。それはちょうど須弥山のようであった。そして、その中に全ての仏がたの清らかな国土があらわれた。
 すなわち、七つの宝でできた国、また蓮の花ばかりが満ちあふれた国、また他化自在天の宮殿のような国、また水晶でできた鏡のように澄みきった国、それら様々な国々が全て現れたのである。
 釈尊は、このような数限りない仏がたの世界がうるわしい姿をそなえているのを、韋提希にお見せになったのである。

 韋提希の要請に応じて、お釈迦さまは数限りない仏さまのお浄土を見せていかれます。 
 阿閦仏の妙喜世界、薬師仏の浄瑠璃浄土など、仏さまはそれぞれにお浄土をお持ちで、阿弥陀さまの極楽浄土もその一つです。

 お浄土とは単にどこかにある場所をあらわすのではなく、仏さまの願いのままに形づくられた世界のことです。衆生を救うはたらきが人の姿として現れたのが仏さまで、そのはたらきの根源を場所として表現されたのが浄土と言えるでしょうか。
仏説観無量寿経⑬「お釈迦さまの本意」
 
 
 そこで韋提希は釈尊に申し上げた。

「世尊、この様々な仏の世界はみな清らかで光り輝いておりますが、私は今、中でも極楽世界の阿弥陀仏のもとに生まれたいと思います。どうか世尊、私にその極楽世界のすがたを思い描く方法を教えて下さい。そして、そのすがたと私の心が一つになり、観が成就する方法を教えて下さい」

 韋提希夫人は、数限りない仏の世界から阿弥陀仏の極楽浄土を選びます。しかしこれは、お釈迦さまのお手回しで韋提希に選ばせたとも言えます。というのも、釈迦さまは韋提希の選択を聞いたのちに微笑まれるからです。
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 以前ある公園で大道芸を見ていたとき、パフォーマーが最後の芸を観客に選ばせる場面がありました。3つの道具を紹介して、どれにするか拍手の数で決めるというものです。その選ばれた芸は大変素晴らしいものでしたが、後から考えてみると、私たちが主体的に選んだつもりでいて実は彼の巧みな言葉に誘導されていたことに気づきました。

 パフォーマーにとって一番自信のある見せたい芸があるように、この時のお釈迦さまの本心も阿弥陀さまの救いを説くことにありました。韋提希はまずそのための方法を尋ね、それに応える形で観経の説法が始まるのです。
仏説観無量寿経⑭「お釈迦さまの微笑み」
 
 
 すると釈尊はにこやかにほほえまれ、五色の光がその口から輝き出て、その一つ一つが頻婆娑羅王の頭を照らした。
 そのとき頻婆娑羅王は、王宮の奥深く閉じ込められていたけれども、少しもさまたげられることなく心の目で遠く釈尊を仰ぎ見て、頭を地につけて礼拝した。すると心がおのずから開かれて、二度とこの迷いの世界に帰ることのない位に至ることができたのである。

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 阿弥陀如来の極楽浄土に生まれたいと申し出た韋提希にお釈迦さまは微笑まれます。
 お釈迦さまの微笑みというのは「わが意を得たり」というお経の表現だそうです。言い訳と愚痴にまみれていた韋提希が、よくぞ清浄なる極楽世界を求めるようになったと、喜んでおられるのです。
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 お釈迦さまは、韋提希に説法を始める前に、幽閉されていた頻婆娑羅王を五色の光で照らし、その心を救います。
 経典では頻婆娑羅王はここで阿那含(あなごん)となったとされています。阿那含とは欲界の煩悩を断じ尽くして再び欲界に還らないことを意味します。
 このあと『観無量寿経』に頻婆娑羅は登場しませんが、『涅槃経』によれば、阿闍世王が父頻婆娑羅を非道にも殺害したとあるので、頻婆娑羅はこのとき安らぎの中にいのちを終えて行ったのかも知れません。
仏説観無量寿経⑮「ここを去ること遠からず」
 
 
 釈尊は韋提希に仰せになった。
「そなたは知っているだろうか。阿弥陀仏はこの世界からそれほど遠くないところにおいでになるのである。だからそなたは思いを極楽世界にかけ、清らかな行を完成して仏になられた阿弥陀仏をはっきりと想い描くがよい」

 極楽浄土がどこにあるのか、『仏説無量寿経』では「ここを去ること十万憶刹」、『仏説阿弥陀経』では「十万憶の仏土を過ぎて」と説かれています。
 お釈迦さまは、お浄土は十万憶の世界を超えたはるか彼方にあると言いながら、この『仏説観無量寿経』では「阿弥陀仏、ここを去ること遠からず」と仰るのです。はるか彼方のお浄土におられるという阿弥陀さまが「それほど遠くない」とはどういうことでしょうか。

 蓮如上人と交流があったとされる一休禅師が、あるとき次のような歌を送ったそうです。
「極楽は 十万億土と説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ」

 これに対して蓮如上人は、
「極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば 南無のひと声」
と返されたといいます。


 私のはからいで赴くならば、極楽浄土ははるか彼方。しかし阿弥陀さまのおはからいである南無阿弥陀仏は、向こうから来てくださるお喚び声です。
 私からは遠くとも、お浄土から私へは決して遠くないのです。
仏説観無量寿経⑯「韋提希、観察を請う」
 
 
「私は今、そなたのために極楽世界のすがたを想い描くためのいろいろな方法を説き、また清らかな行を修めたいと願う未来の全ての人々を西方の極楽世界に生まれさせよう」
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 お釈迦様はこれより西方極楽浄土に生まれるための行を具体的に説いていかれます。『仏説観無量寿経』の名の通り、それはお浄土や仏さまの姿を観察(かんざつ)する行です。
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「観察」という言葉は「物事の状態や変化を注意深く見る」という意味で現代でも用いられます。これを仏教で「かんざつ」と読む場合は「智慧によって対象を正しく見極める」という覚りへ至るための行を意味します。智慧とは自他一如の境涯ですので、ただ見るのではなく、観察するものと観察されるものの区別がないようなものの見方です。これは凡夫には甚だ困難な行と言えましょう。
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 なぜお釈迦様は韋提希夫人に対して難しい観察行を説かれるのか、それは韋提希夫人が「その極楽世界のすがたを想い描く方法を教えて下さい」と観察の行を請うたからです。
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 凡夫には難しい行と知りながら、お釈迦様はこの後あえて観察の行を順に示していかれます。それは心を整えて行う十三観(定善)と、散逸した心で行う三観(散善)、合わせて十六の観察方法です。
仏説観無量寿経⑰「三種の善い行い」
 
 

「その世界に生まれたいと願う者は、次の三種の善い行いを修めるがよい。
 一つには、親孝行をし、師や年長の者に仕え、やさしい心を持ってむやみに生きものを殺さず、十善を修めること。二つには、仏・法・僧の三宝に帰依し、いろいろな戒めを守り、行いを正しくすること。三つには、さとりを求める心を起し、深く因果の道理を信じ、大乗の経典を口にとなえて、他の人々にもそれを教え勧めること。このような三種を清らかな行いと言うのである。
 韋提希よ、そなたは知っているだろうか。この三種の行いは、過去・現在・未来の全ての仏がたがなさる清らかな行いであり、さとりを得る正しい因なのである」

 これは後に説かれる散善(心が散逸したままの行)の序文です。
 続いて釈尊は定善(心を整えた行)の序文を加えられて、実際の行を説いて行かれます。

 ここで注意したいのが、このあと説かれる行の順序は定善→散善であるのに、この序文は散善→定善と、散善が先になっているということです。

『観経』の構成は、難しい定善から易しい散善へという流れなのですが、ここではまず先に散善の説明がされています。それはこのお経の目当てが、難しい行を修めることができる聖者ではなく凡夫であることを示していると言えます。
仏説観無量寿経⑱「全ての人々のために」
 
 

釈尊はさらに阿難と韋提希に仰せになった。

「そなたたちは私の言うことをよく聞いて、深く思いをめぐらすがよい。私は今、煩悩に苦しめられる未来の全ての人々のために、清らかな行いを説き示そう。韋提希よ、よくこのことを尋ねた。
 阿難よ、そなたはこれから私が説く教えを忘れずに心にとどめ、多くの人々に説き広めるがよい。私は今、韋提希と未来の全ての人々が西方の極楽世界を想い描くことのできるようにしよう。仏の力によって、丁度くもりのない鏡に自分の顔かたちを映し出すように、その清らかな国土を見ることができるのである。そしてその国土のきわめてすぐれた姿を見て、心は喜びに満ちあふれ、そこでただちに無生法忍を得るであろう」

 
 ここからは定善(心を整えて行う行)の序文です。お釈迦様は十三ある観想の行を説くにあたり、その趣旨や心構えを説明されます。

「煩悩に苦しめられる未来の全ての人々のために」とあるように、お釈迦さまの目当ては韋提希だけではありません。韋提希に教えを説きながら阿難にも聞かせ、ひいては他の弟子たち、そして未来の私たちにも聞かせようというお心があるのです。

 ただ定善はすぐれた聖者の行です。全ての人を目当てとしながら、難しい行を説かれるのはなぜなのでしょうか。
仏説観無量寿経⑲「愚かな凡夫のために」
 
 

​ さらに釈尊は韋提希に仰せになった。
「そなたは愚かな人間で、力が劣っており、まだ天眼通を得ていないから、はるか遠くを見通すことができない。しかし仏には特別な手立てがあって、そなたにも極楽世界を見させることができるのである」

 
 お釈迦さまは韋提希に向かって「そなたは愚かな凡夫である」とはっきり告げられます。
 韋提希は今でこそ幽閉の身ですが、かつては王の妃として栄耀栄華を誇っていたはずです。きっと富や権力だけでなく、人間の資質としても優れていると自負していたのではないでしょうか。だから韋提希は聖者が歩むべき難しい観想の行を求めたのです。

 親鸞聖人はこのお釈迦様の言葉に、阿弥陀様の救いの目当てが凡夫悪人であることが示されていると見られました。
​ 聖人が「真実の教」と言われた『無量寿経』には阿弥陀様の救いが説かれてありますが、その救いの目当ては明確ではありません。この『観無量寿経』をいただいて初めて、『無量寿経』に説かれる阿弥陀様の願いが、凡夫である私に向けられていると知らされるのです。

 お釈迦さまは「特別な手立て」と仰っています。つまりこれから説く行は別立てであって真意ではないことが示されています。
仏説観無量寿経⑳「見ると観る」
 
 

そのとき韋提希が釈尊に申し上げた。
「世尊、私は今、仏のお力によってその世界を見ることができます。でも世尊が世を去られた後の世の人々は、さまざまな悪い行いをして、善い行いをすることがなく、多くの苦しみに責められることでしょう。そういう人たちは、いったいどうすれば阿弥陀仏の極楽世界を見ることができるでしょうか」


 今や韋提希は自分の事だけではなく、未来の人々の救いにまで目を向けるようになっています。散々愚痴を言いながら、お釈迦さまに詰め寄っていた時の姿とは大違いです。「汝は凡夫だ」とお釈迦さまに言い当てられ、それまで自分を特別な人間と思い、自分の救いだけを望んでいた韋提希の心に、同じ凡夫として他者への気遣いが生まれたのでしょう。

 先に韋提希が阿弥陀様のお浄土を見ることができたのは、韋提希の力ではありませんでした。お釈迦様が韋提希に阿弥陀様のお浄土を選ばせるように、仏力によって見せたのです。ただ「見る」のではなく、観想として浄土を「観る」ことは、正しい行いによらなければなりません。その観想の行をこれからお釈迦さまは一つ一つ説いて行かれます。

 繰り返しになりますが、観想の行は自力の困難な行です。お釈迦さまはそれを韋提希の求めに応じてまず示していかれるのです。

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