仏説無量寿経(下巻)①「さとりを得る身」
これまで拝読してきた仏説無量寿経の上巻は、阿弥陀様の成仏について説かれていましたが、下巻では私たち衆生の往生についてお釈迦様が明らかにしていかれます。
「さて、無量寿仏の国に生まれる人々はみな正定聚(しょうじょうじゅ)に入る。なぜなら、その国に邪定聚(じゃじょうじゅ)や不定聚(ふじょうじゅ)のものはいないからである」
正定聚とは「さとりを得る身に定まった仲間」という意味であることは以前に述べました。一方、邪定聚とは「さとることのない仲間」、不定聚は「さとるともさとらぬとも定まっていない仲間」という意味です。この文の当面では浄土で正定聚に入ると読めますが、親鸞聖人はこれを現生(今)においてさとりを得る身に定まると示されました。
大学受験に喩えますと、合格者と不合格者、不確定者がいるとすれば、「合格者」とは受験生の立場として「不合格者」「不確定者」と比較される言葉であって、大学に入ってしまえば合格者ではなく「大学生」と呼ばれるでしょう。同様に「お浄土に邪定聚、不定聚の者がいない」ということは、正定聚も邪定聚も不定聚もお浄土での話ではなく、現生(今)のことを表していると見られたのです。
私達が仏となるのは臨終後ですが、現生にて信心を頂いたとき、既に成仏が約束されるのです。