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聖典拝読
寺報『正法寺便り』に掲載した「聖典拝読」と、
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2024年5月
「不思議とは凡夫が仏になることよ」蓮如上人
ある時、お弟子の法敬坊が言いました。
「蓮如上人様が書かれた南無阿弥陀仏の名号が火事で焼けましたが、
六つの文字が六体の仏となって昇って行きました。不思議なことがあるものです」
すると、蓮如上人は、
「それは不思議でことではない。南無阿弥陀仏はもともと声の仏様なのだから、仏が仏になるの当然の事。不思議とは凡夫が仏になることを言うのだよ」
私たちは、道理や理屈のわからないことに不思議という言葉を使います。しかし「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というように、手品や超常現象のような一見不思議なことも、理屈が分かってしまえば何も不思議ではなくなります。本当の不思議とは「思義できない」ことですから、そもそも道理や理屈でははかれないものです。
たとえば、私が両親の間に生まれてきたことは、歴史的、生物学的な理屈ならば説明可能ですが、「なぜこの両親の間に生まれて来たのか」は説明のしようがありません。それこそ不思議なご縁としか言いようがないのです。
本来仏になれない凡夫が、お念仏ひとつで仏になるということも、
人間の理屈で思いはかることはできません。「凡夫を仏にしたい」と願われた阿弥陀様の不思議なおはからいによると、ただ仰ぐばかりなのです。
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