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聖典拝読
寺報『正法寺便り』に掲載した「聖典拝読」と、
掲示板の法語についてのコメントを公開しています
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仏説阿弥陀経①「一番身近なお経」
今回から『仏説阿弥陀経』を拝読してまいります。
浄土真宗が拠り所とする浄土三部経(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)の一つで、この中で一番短いお経であることから『小経』と略されることもあります。
一説では、我が国で最も多くお勤めされているお経はこの『阿弥陀経』なのだそうです。浄土宗・浄土真宗など浄土系の宗派は当然として、『法華経』を所依の経典とする天台宗でも通夜葬儀に際しては『阿弥陀経』が用いられるとうかがったことがあります。先立っていった方々や、我がいのちの行方を思うとき、私たちは全てのいのちを平等に迎え取る浄土の世界が説かれた経典に心を寄せてきたのでしょう。
『仏説阿弥陀経』の「阿弥陀」とは阿弥陀様のことですが、『仏説無量寿経』の「無量寿」も阿弥陀様をあらわしています。
「アミターバ(無量光)・アミターユス(無量寿)」という二つの意味を持つインドの原語を、そのまま漢字に音写したのが「阿弥陀」で、「限りないいのち」という一方のお徳を中国語に翻訳したのが「無量寿」です。
『仏説阿弥陀経』とは、「仏さまが覚りの智慧の世界からお説き下さった阿弥陀様についてのお経」という意味です。
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仏説阿弥陀経②「スダッタの寄進」
それではさっそくお経の内容に入って参りましょう。
「このように私は聞かせて頂いた。あるとき、お釈迦様が舎衛国(しゃえこく)の祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)においでになった」
多くの経典と同様に、阿弥陀経は「如是我聞」のご文から始まります。この「私」とは、いつもお釈迦様のおそばで説法を聞かれていた「多聞第一」の阿難(アナン)尊者です。
「舎衛国」はインド北部にあったコーサラ国の首都。そこに須達多(スダッタ)という裕福な者がいて、彼は孤独で貧しい人々に施しをしていたことから「給孤独」長者と呼ばれていました。
須達多は隣国のマガダ国へ行った際にお釈迦様の説法を聞いて、ぜひ自国の人々にも聞いて欲しいと寺を建てる決意をします。
彼はふさわしい土地として、舎衛国の王子である祇陀(ギダ)太子が所有する森を買い受けようとしますが、太子は意地悪く「金を敷きつめた分の土地をやろう」と難題を言いつけます。ところが須達多は何の躊躇もなく全財産を投げうって金を敷き始めたため、太子もその志に感動し、快く土地と樹々を寄進したということです。
この地は二人の名から「祇樹給孤独園」と名付けられました。ここが『平家物語』でも有名な「祇園精舎」であり、数多くのお経の説法の場となりました。
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仏説阿弥陀経③「阿説示との邂逅」
「お釈迦さまは千二百五十人のすぐれた弟子たちとご一緒で、この方々はみな徳の高い阿羅漢として世に知られていた」
「阿羅漢」とは供養を受けるにふさわしい聖者のことで、続いて代表的なお弟子や菩薩、諸天の名前が挙げられます。
「長老の舎利弗をはじめとして、摩訶目犍連・摩訶迦葉…薄拘羅、阿ぬ楼駄などのすぐれたお弟子たちや、文殊師利王子…状精進菩薩のようなすぐれた菩薩がた、釈提桓因などの諸天の大衆も一緒であった」
このお経の聞き手は一番初めに出てくる舎利弗(しゃりほつ)尊者です。二番目の摩訶目犍連(目連尊者)と並んで、お釈迦様のお弟子のツートップと言えるお方でした。二人は幼馴染で、お釈迦さまと出会う前は同じ師の元にいましたが、共にその教えに満足できず、真の師を求めていました。
ある時、舎利弗は素晴らしい姿の修行者(阿説示)を見かけます。舎利弗が「誰の教えを受けているのか」と尋ねると、阿説示はお釈迦さまの弟子であることを告げ、教えの一端を説きました。すぐさまその真理性を見抜いた舎利弗は、目連と共に250人の弟子を連れてお釈迦さまに帰依したと言います。
二人は後に智慧第一の舎利弗、神通第一の目連として、お釈迦さまから厚い信頼を受けました。
仏説阿弥陀経④「西方極楽浄土」
経文の続きです。
その時お釈迦様が長老の舎利弗に仰せられました。
「ここから西の方、十万億の仏の国々を過ぎたところに世界があって、極楽と名づけられてある」
阿弥陀さまの浄土は西と定められています。
これは、いのちのふるさとへ想いを向けやすいように、お釈迦さまが太陽も月も沈んでゆく西に浄土があると示して下さったのです。
また「十万億の仏の国々を過ぎたところ」と、浄土への距離も表されています。
地球上では方角と距離が決まればおおよその場所が定まります。東京から京都を思い浮かべるとき「だいたい西の方へ500キロくらいのところ」とイメージするように、私たちはお浄土を想うことができます。
「極楽」とは阿弥陀様がご用意された「極楽浄土」のことです。
「浄土」は「穢土」に対する言葉で、煩悩を離れた清らかな世界を表しています。これは仏さまの数だけ無数にあるのですが、阿弥陀様のお浄土は梵語で「スカーヴァティー」といい、特に「極楽」「安楽」「安養」などと訳されます。
このように、お経では私たちの理解に合わせて、本来は姿や形を超えたさとりの世界を、名前のある具体的な場所として説いてあるのです。
仏説阿弥陀経⑤「極楽の楽」
「その極楽に阿弥陀と申し上げる仏がおられ、いま現に法を説いておいでになる。舎利弗よ、かの国をなぜ極楽と名づけるか。その国の人々、何の苦もなく、いろいろの楽を受けるからだ」
私たちはこの世にある限り避けようのない苦を抱えて生きています。お釈迦様はそれを生苦・老苦・病苦・死苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を合わせて四苦八苦と示されました。
極楽はこのような苦しみの一切から解放され、もろもろの楽を享受できる世界であると言います。
ここで言う「楽」とは私たちが思う世間的な楽ではありません。
人は自分にとって都合の良いことに楽を感じ、都合の悪いことに苦を感じます。この「自分の都合」というとらわれを越えて、あらゆるいのちに共感し、しあわせを願い喜べることが極楽の楽です。
ひとのしあわせを心から喜び、ひとの苦しみを我が事として悲しみ慈しむのが仏様のお心。それに対して、ひとのしあわせをねたみ、ともすればひとの苦しみに喜びを感じるような、まことに身勝手な心を持っているのが私たちではないでしょうか。
阿弥陀様が理想とされ、ご用意下さった極楽浄土とは、この娑婆とは真逆の世界と言えるでしょう。それは人間の煩悩を離れた限りない智慧と慈悲の世界です。
仏説阿弥陀経⑥「浄土の宝」
「また舎利弗よ。その極楽には、七重の欄楯(らんじゅん)と七重の羅網(らもう)と七十の行樹(ごうじゅ)がある。みんな四つの宝でできて、いたるところに巡り囲んでいる。それゆえに極楽という」
欄楯とは欄干や手すり。羅網は保護網。行樹は並木のことで、いずれも浄土のいたるところを七重に囲んでいます。またそれぞれが四つの宝(金・銀・ルビー・珊瑚)などで飾られているというのです。
これらは、極楽浄土という世界がいかに大切に守られているかを示していますが、もちろんこの欄干や網や並木は他者を排斥するためにあるのではないでしょう。防犯のための囲いに宝を飾ることはないからです。
私たちの世界で、町の欄干や並木に金銀やルビー、珊瑚のような宝が飾られていたらどうなるでしょうか?
恐らくは数日のうちに持ち去られ、どこかへ隠されてしまうはずです。これは私たちが宝の価値を金銭的価値に置き換えているからで、仕舞われてしまっては本来の宝の輝きは発揮されません。
お浄土では宝が宝のままに輝き、誰もそれを盗んだり独り占めしたりはしないのです。宝の持つ本来の輝きや価値を誰もが等しく享受できるからこそ極楽と言われるのでしょう。
仏説阿弥陀経⑦「八つの功徳の水」
「また舎利弗よ、極楽には七宝の池があって、八種の功徳をそなえた水がなみなみとたたえられている」
八種の功徳とはお経や注釈書によって違いはありますが、(1)清潔、(2)臭くない、(3)軽い、(4)冷たい、(5)軟らかい、(6)美しい、(7)飲みやすい、(8)お腹を壊さない、等です。
お釈迦様の時代のインドを考えると、きれいな水というのは大変貴重であったことが想像されます。私たち現代人は、蛇口をひねれば飲める水がいくらでも出てくるという便利な生活を当たり前のように享受していますが、裏を返せば水の有難みというものを忘れてしまいがちです。
富士山のような水道の通っていない高所へ行くと、飲み水はわざわざ麓から運んでこなければならず、雨水も生活用水として一滴も無駄にできません。
そのような制限された状況では、ただの水がこの上なく美味しく感じられ、登山で疲れた体に沁み通っていくことでしょう。
同じ水であっても、私たちは置かれた状況で有難くも感じ、無駄に捨てもします。
極楽浄土の水が尊い功徳を持つということは、一切のはからいを超えて、水の尊さ有難さを感じることのできる世界であることを示しているのではないでしょうか。
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