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梵語スートラの漢訳。釈尊の説かれた言説をが後にまとめられたもの。過去から未来まで、私のいのちを貫く真実の言葉。

釈迦

仏教の開祖。約2500年前、インドの釈迦族の王子として生れた。生老病死への問いから、道を求めて29歳で出家。6年にわたる苦行の末にこれを棄て、ブッダガヤーの菩提樹の元でさとりを開いた。35歳でブッダとなってから、80歳で入滅するまで、あらゆる人々に苦悩を越える道を説き続けた。

八万四千の法門

釈迦一代の教えが極めて多いことをあらわす。親鸞聖人は、他力本願の教え以外の、あらゆる自力方便の教えとされている。

浄土三部経

浄土真宗の根本経典。「浄土三部経」の名称は、親鸞聖人の師、法然聖人の『選択本願念仏集』による。無量寿経は「大経」、観無量寿経は「観経」、阿弥陀経は「小経」と略されることがある。

真実の教

親鸞聖人の『教行信証』教巻に「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」とある。

仏説無量寿経(上巻)①「真実の教え」
 
 皆さんは「お経」に対してどのようなイメージをお待ちでしょうか。「漢字の羅列」、「呪文みたいなもの」、「ご利益のありそうな言葉」等々あっても、「お釈迦様が説かれた教え」ということは誰もがご存知のことと思います。

八万四千の法門」と言われるように、お釈迦様は実にたくさんの教えを説かれました。その理由は、病気を治すのにそれぞれ適した処方をするように、お釈迦様が私たちの数限りない苦悩の一つ一つに応えていかれたからなのです。

 そして数多くの経典の中から、親鸞聖人が、人の生き方を問わず、誰もが平等にすくわれる教えとして依りどころとされたのが「浄土三部経」と言われる三つの経典(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)です。
 
 今回から、この浄土三部経の内、親鸞聖人が「真実の教」と言われた『仏説無量寿経』に焦点を当てて、少しずつ拝読して参りたいと思います。

 普段のご法事でもお勤めされているこの経典には、阿弥陀如来の計り知れない願いが、壮大な物語の形で描かれています。
 その内容を他人事でなく「我が事」としてお聞かせいただくとき、このお経が単なる物語でも、ましてや呪文でもなく、お釈迦様が私のために説いて下さった、まさに「真実の教え」として身に添うものになるはずです。
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仏説無量寿経(上巻)②「我聞如是」
 
 お釈迦様の説かれた「お経」は実に様々ですが、序分(序論)、本分(本論)、流通分(結論)の流れで展開されるという内容構成は大体共通しています。
『無量寿経』も例外ではなく、「我聞如是~」に始まる序分では、このお経が「いつ」、「どこで」、「誰に対して」説かれたか、そしてその説かれた理由が明らかにされます。
 
 現代においても、重要な書類等には日付や場所を記すことは必須です。そしてお経ではさらに「誰に対して」がクローズアップされ、『無量寿経』には「大比丘衆万二千人」、「大乗の諸々の菩薩」と記されています。
 これは釈尊の弟子のみならず、あらゆる菩薩方が聴聞され、このお経の確かさを証明していることを意味しているのです。
 
 さて、お経は例外なく「如是我聞」あるいは「我聞如是」で始まります。
「経」とは、釈尊の言説を後に弟子の方々が教えをまとめたものですが、ここには「お釈迦様はこう仰った」と、ただ記録として記すのではなく、「お釈迦様よりこのようにお聞かせ頂きました」という聴聞の姿勢が貫かれているのです。
 
仏法は聴聞にきはまる」とは蓮如上人のお言葉ですが、聴聞とは仏様のお心を聞くことであって、お経を通して阿弥陀様の大悲のお心をお聞かせ頂くことが何より肝要なのです。

我聞如是

「いつ」「どこで」「誰が」「誰から」」「このように」「聞いた」という、経の説かれた場の成立を六事成就という。お経の認定条件。

大比丘衆

大いなる比丘(僧)の集まり。姿は弟子、でも本当は神通力を備えた大聖たち。

菩薩​

さとりを求める者。仏の前段階。大乗仏教では、自らのさとりのみならず、他者をさとらしめる利他の心をそなえた者をさす。

釈尊の言説

釈尊の入滅後まもなく、その教えの散逸や異説を防ぐために第一回仏典結集が行われた。しかし、しばらくは暗唱による伝承のみで、文字化されるのは一説には100~200年後といわれている。

仏法は聴聞にきはまる

​『蓮如上人御一代記聞書』の言葉。柔らかな水が固い石を穿つように、いかに不信であってもお慈悲の中で聴聞を続ければご信心を得られるということ。

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仏説無量寿経(上巻)③「阿難の問い」
 
 それでは経典の内容に入って参りましょう。
 
 そのとき釈尊は、王舎城の耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に一万二千人のすぐれた弟子たちとおいでになりました。すると、いつも釈尊に付き添いお世話をしていた阿難(あなん)尊者が、今日の釈尊の様子がいつもと違い、輝きに満ちていることに気づきます。
 阿難がそれを告げると、釈尊はその気づきが天人に教えられたものなのか、阿難自らの考えによるものなのかを尋ね、阿難は自らの考えによると答えるのです。
 
 なぜ釈尊はそのようなことを尋ねたのでしょうか。
 このとき阿難はまだ覚りを得ていなかったといわれます。沢山の優れた弟子や菩薩達がいる中で、まだ覚りを得ていない阿難が誰よりも早く仏の智慧と慈悲の輝きに気づいたことを釈尊は歓び、そして問わずにはいられなかったのでしょう。なぜなら、釈尊が仏の本懐としてこれから説かんとしている教えは、自らの力では覚りを開くことのできない凡夫にこそ向けられたものだからです。
 
 阿難尊者は、いわば私達全ての凡夫の代表として、この問いを立てて下さったのです。この阿難の問いに促されて、今ここに、阿弥陀如来の願いが説かれる機縁が熟しました。釈尊は仰います。
 
「阿難、あきらかに聴け、いまなんぢがために説かん」と。
 
「なんぢ」とは、この「わたし」のことです。

王舎城の耆闍崛山

王舎城は釈尊在世当時のマガダ国の首都。現在ではインドのラージギルにあたる。耆闍崛山は王舎城郊外の山で、釈尊の説法の中心地。頂上に鷲の頭のような岩があることから霊鷲山(りょうじゅせん)とも呼ばれ、『無量寿経』をはじめ『観無量寿経』、『法華経』などが説かれた。​

​阿難(阿難陀)

梵語アーナンダの音訳。釈尊十大弟子のひとりで、いつもそばに仕え最も多くの説法を聞いたことから「多聞第一」と言われる。釈尊の従弟で男前。​​

覚りを得ていなかった

​阿難は釈尊入滅の時において未だ覚り(阿羅漢果)を得ていなかったため、多聞第一でありながら、まもなく開かれる仏典決集への参加が認められなかった。彼は一心に瞑想修行にいそしみ、ついに覚りを得て第一回決集の主役に、そして経典の語り部となった。​

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仏説無量寿経(上巻)④「法蔵菩薩の登場」
 
 釈尊は阿難に語り始めました。
 
「今より遥かに昔に、錠光という仏がお出ましになり、数限りない人々を教え導いてさとりを得させ、やがて世を去られた。次に光遠という名の仏がお出ましになった。次に月光、栴檀香…龍音、処世という名の仏がたが出られ、みな世を去られた…」
 
 ここには五十三の過去仏の名が挙げられています。
 仏教では、キリスト教やイスラム教のような、唯一のがこの世界を造り、他を認めないというような一神教の立場をとりません。仏(ブッダ)とは(ダルマ)を覚った者のことであり、不生不滅の真理(如)より現れ出られた(来)お方であるがゆえに「如来」と申し上げるのです。
 仏教が過去・現在・未来と、三世を通して多くの仏をたてるのは、真理への固執(自是他非)を否定し、また法の普遍性を示さんがためです。
 
 そして次の五十四番目に、世自在王仏(せじざいおうぶつ)が現れ、その元にひとりの国王が登場します。
 
「その時ひとりの国王がいた。世自在王仏の説法を聞いて深く喜び、この上ないさとりを求める心を起こし、国も王位も捨て、出家して修行者となり、法蔵と名乗った」
 
 この法蔵と名乗られた修行者こそ、後に阿弥陀如来となられる法蔵菩薩です。

錠光(じょうこう)

燃灯(ねんとう)仏とも言う。過去世に出現して、釈尊の前生に対して「あなたは未来に仏となるであろう」と予言したとされる。

仏教の基本は無我であり、あらゆる物は縁起的に成り立っているのであって、永遠不滅の実体である我(アートマン)の存在は否定される。よって、この世界を支配する創造主的な神の存在も想定されない。​仏教にも神々は説かれるが、多くは仏をサポートする立場であり、あくまで六道の迷いを離れるものではない。

​法(ダルマ)

語源は「保つもの」。古代インドでは社会を保つ原理としての規範や真理を指した。仏教ではさらに意味を深めて、存在を構成し維持させる要素を示し、世界の在り方・人間の生き方をも指す語となった。釈尊はこの法について、自らが創造したものではなく、厳然としてあった法を覚ったに過ぎないと述べられている。

​如来

梵語タターガタの意訳。真如より現れ来った者、あるいは真如を覚った者。仏さまのこと。この意味からも、如来とは単なる名前ではなく、動的なはたらきとして味わうことができる。

世自在王仏

阿弥陀如来のお師匠さま。世間一切の法に自在であり、また世間を利益するのも自在であるという。その名の通り、とにかく自由自在のすぐれた仏さま。

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仏説無量寿経(上巻)⑤「師を讃える歌」
 
 志高く優れた修行者であった法蔵菩薩は礼拝の姿勢をとり、師である世自在王仏を讃える歌を唱えます。この「光顔嶷々(こうげんぎぎ)」で始まる歌が、様々な仏事でお勤めされる「讃仏偈(さんぶつげ)」です。
 
 法蔵菩薩はその中で、世自在王仏の徳を讃え、師仏のごとくあらゆる生きとし生けるものを救いたいと願い、十方諸仏にその証明を請います。
 つまり「讃仏偈」の「仏」とは阿弥陀様ではなく世自在王仏のことで、この歌は阿弥陀様が菩薩であった時に師を讃嘆している内容なのです。これは言うなれば法蔵菩薩の願いが込められた決意表明です。
 
「お経は挙げるものではなく頂くもの」と言われることがあります。讃仏偈をお勤めするということは、法蔵菩薩(阿弥陀様)の願いを読誦しながら、そのままその願いをお聞かせ頂いていることに他なりません。

 法蔵菩薩は讃仏偈の最後を「仮令身止、諸苦毒中、我行精進、忍終不悔(たとえどんな苦難にこの身を沈めても、さとりを求めて耐え忍び、修行に励んで決して悔いることはない)」と結んでいます。

 わが身にに向けられた親の心を子が知るように、私達は讃仏偈を頂きながら、「決して迷わせはしない」という阿弥陀様のお心に触れているのです。

法蔵菩薩

梵語ダルマーカラの意訳。阿弥陀仏の修行中の名。菩薩(因)が修行して仏(果)となるのが通常の因果だが、法蔵菩薩は仏(果)から菩薩(因)の位へ降りてこられたとされる。仏がわざわざ人間の姿をとり、菩薩となって修行されるのは、ひとえに阿弥陀仏の救い(南無阿弥陀仏)のいわれを伝えんがためである。​

願い

仏は必ず願いを持つ。人間の願いは自己中心的だが、仏の願いはあらゆるいのちへ平等に向けられる。浄土真宗という教えは、この仏の願いを「私ひとりに向けられたもの」として聞いていくものである。

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仏説無量寿経(上巻)⑥「二百一十億の世界」
 
「讃仏偈」を唱え終えた法蔵菩薩は、どのように修行し浄土を整えるべきか、師の世自在王仏に教えを請います。

 世自在王仏は「それはあなた自身が知るべきであろう」と一旦拒否するのですが、法蔵菩薩は「そのような深広なる境涯は、とても私の及ぶものではありません」と食い下がるのです。
 
「あらゆるいのちを救いたい」と願われたのが法蔵菩薩です。あらゆる者を救うには、あらゆる世界をありのままに知らなければいけません。それが出来るのは仏の智慧のまなこをおいて他になく、まだ修行中の法蔵菩薩は、自らの独善に陥ることを戒めたのでしょう。
 
 世自在王仏は法蔵菩薩の意を酌み、

「あなたの志は、大海の水を升で汲み干すように困難なことだが、つとめ励み、覚りを求め続けるならば、大海の底の宝を手に入れるように、どのような願いも満たされるだろう」
 
と、広く二百一十億の様々な仏の国に住んでいる人々の善悪と、国土の優劣を説き、法蔵菩薩の願いのままに、それらを全て目の当たりに見せられました。
 
 この二百一十億という数字には、法蔵菩薩が、まさにあらゆる世界の苦悩を見ていかれたことが示されています。つまり、この「私」の苦悩も見抜かれた上で仏となられたのが阿弥陀様なのです。

それはあなた自身が知るべきであろう

世自在王仏が法蔵菩薩の請いを一端拒否したのは、法蔵が真如より現れた仏であって、建立すべき浄土のことは今更説くまでもないと考えたからだとも言う。

二百一十億

二百十億と同じで、満数(全て)を表す数字。

​この私の苦悩

ここでは遠い過去の物語として描かれているが、ブッダの知見は時空を超え、三世(過去・現在・未来)にとらわれることはない。

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仏説無量寿経(上巻)⑦「五劫の思案」
 
 法蔵菩薩は世自在王仏の教えを聞き、二百一十億の様々な世界を詳しく見られて、ここにこの上なくすぐれた願いを起こされました。それは自らの煩悩によって苦悩し迷い続けている凡夫をこそ救うという、とてつもない願いでした。そしてどうすればその願いを成就できるか、五劫という果てしなく長い間思案されたのです。
」とはインドの時間の単位で様々な喩えがありますが、ヒンドゥーの概念では人間の年に換算すると43億2千万年にあたるそうです。
 
 親鸞聖人は迷いの衆生を「煩悩具足の凡夫」と示されました。凡夫とは本来、仏にはなれない存在です。その凡夫をそのまま救うのですから、この五劫という時間には救われがたき我々の煩悩の深さが見て取れます。
 そしてわが身に引きよせて味わうならば、この私を救う方法を見出すために、法蔵菩薩は五劫という長い時間考え尽くさなければならなかったということです。
 
 法蔵菩薩は、衆生を生まれさせる浄土をととのえるための「願」と「行」を選び取り、そのことを世自在王仏に告げました。
 世自在王仏は法蔵菩薩に対し、「今こそ、その願を述べるがよい」とうながし、法蔵菩薩は応えます。
 こうして明らかにされた48の願いが、すなわち阿弥陀如来の誓願、48願なのです。

​劫

仏教では具体的な年数では表されず、龍樹は『大智度論』の中で、芥子劫(4000里四方の城壁内の芥子粒を100年に一度拾い上げて、全て無くなっても一劫に満たない)・盤石劫(4000里四方の巨石を100年に一度天女の羽衣で撫で、すり減って無くなって一劫に満たない)など、気の遠くなるような例え話で示されている。

「願」と「行」を選び取り

「選び取る」ということは、同時にそれ以外は「選び捨てる」ということである。法蔵菩薩は凡夫を救うために不要となるあらゆる願行を選び捨て、48の願いを建てられた。

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仏説無量寿経(上巻)⑧「四十八の願い」
 
 菩薩は仏になろうと志すとき、自らの願いを示し、成就しようと誓いをたてます。これを「願」あるいは「誓願」といいますが、これには全ての仏に共通する「総願」と、それぞれの仏の固有の「別願」があります。総願とは「四弘誓願(しぐぜいがん)」のことで、
 
 一、「衆生無辺誓願度(一切の衆生をさとりの岸にわたそう)」
 
 二、「煩悩無尽誓願断(一切の煩悩を断とう)」
 
 三、「法門無量誓願学(一切の教えを学びとろう)」
 
 四、「仏道無上誓願成(この上ないさとりを成就しよう)」の四つです。
 
 仏とはこの四つの願いを成就された方ですから、どの仏さまもその願いの先にはあらゆる生きとし生ける者の成仏があります。ではそれぞれの仏さまの違いは何かといえば、その救いの手立てが異なるのであって、「別願」にはそこが示されてあるのです。
 
 代表的な別願には釈迦仏の五百願、薬師仏の十二願、阿弥陀仏の四十八願などがあり、阿弥陀さまは「設我得仏……不取正覚(……が叶わないなら覚りは開かない)」という願を48にわたって宣言されました。
 ここではその一つひとつに触れることは出来ませんが、お念仏による救いの根本となる第18願を中心に、親鸞聖人が注目された阿弥陀如来の主な誓願を、次回より味わって参りたいと思います。

「四弘誓願」

一番目が「一切の衆生を救う」という利他の誓いであることに注目されたい。後の三つはこれを果たさんがための自利の誓願である。自利と利他はダイナミックに相関し合う。仏になるということは、他者を救い続けるということである。

「第18願」

仏が菩薩であったとき(因位)に起こした願を本願(因本の願)という。阿弥陀仏の48願の中では、あらゆるいのちを救いとる根本の願いとして、特に第18願をさす。

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仏説無量寿経(上巻)⑨「阿弥陀如来の願い」
 
 阿弥陀如来の48願を大きく分類すると、
 
 一、「私はこのような仏になりたい(摂法身の願)」
 
 二、「私はこのような浄土を建立したい(摂浄土の願)」
 
 三、「私はこのような方法で人々を救いたい(摂衆生の願)」
 
という、おおよそ三つに分けることができます。
 これを中国の善導大師は、それぞれの願は第18願の念仏往生の心を広げて説明しているだけで、全ては第18願に収められるとされました。つまり48願全体が我々衆生のためということです。
 
 第18願には「わずか十声であっても私の名号(南無阿弥陀仏)を称えて浄土に生まれたいと願っている者を、もし生まれさせることができないようなら、決してさとりは開かない」と誓われています。
 本来ならば、すでにさとりの境地に到達している菩薩でなければ生まれることのできない浄土(真実報土)へ、どのような罪悪深重の凡夫であっても、心から生まれたいと願わせ、念仏申す身に育てて、必ず渡してみせると誓うこの願に、阿弥陀如来の願いが集約されているというのです。
 
 この善導大師の解釈は法然聖人から親鸞聖人へと承け継がれていきますが、親鸞聖人はさらに、この第18願の内容を詳しく説いたのが第11、12、13、17、18の五つの願であると見られ、ちょうど握り拳(第18願)と手を開いた五本の指(五願)の関係のように、これらを真実五願として注目されました。

「分類」

浄影寺の慧遠は、第12,13、17願を摂法身、第31、32願を摂浄土、それ以外の願を摂衆生に割り当てている。ただし、慧遠の示す「衆生」は穢土の衆生のみならず、浄土の聖衆も指すことに注意されたい。

「善導大師」

称名念仏を中心とする中国浄土教の大成者。『​観無量寿経』が聖者ではなく、凡夫の救いが説かれた教えであることを明らかにされた。善導の影響で唐代においては念仏ブームが巻き起こった。浄土真宗七高僧の第5祖。

「それぞれの願」

第18願の救いを明らかにするために、他の47の願いが加えられたと味わうこともできる。

「真実報土」

仏の願行に報いて成立したのが報土であるが、そこには真実と方便がある。阿弥陀仏が真に衆生を生まれさせたいと願われたのが真実報土。一方で、自力のはからいにとらわれた者を迎え入れるため、仮にご用意下さったのが方便化土である。

「法然聖人」

親鸞聖人のお師匠様。「称名念仏ひとつで仏になれる」という専修念仏の教えを明らかにして浄土宗を開かれた。親鸞聖人は生涯、法然聖人の一弟子の立場で、師の教えを誤りなく伝えることに尽力された。

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仏説無量寿経(上巻)⑩「仏と成る仲間」
 
 親鸞聖人が注目された真実五願の内、第11願は「必至滅度の願」と呼ばれ、浄土に往生したものは必ずさとりを開くことができると誓われています。
 
『私が仏になるとき、私の国の天人や人々が正定聚に入り、必ず覚りを得ることがないようなら、私は決して覚りを開かない』
 
「正定聚」とは「仏となる身に定まった仲間」という意味で、この願文だけを見れば、お浄土に生まれた者が正定聚に入り、そこで修行をして仏になると誓われているように思えます。しかし親鸞聖人は、他力の信心を得た時すでに仏となる身に定まり、浄土に生まれればすぐさま覚りを開く(滅度)、つまり往生即成仏を誓った願と味わわれました。
 それは阿弥陀様の根本的な願いが、単に浄土に生まれさせて後は自由に修行しなさいという程度のものではなく、あらゆる凡夫を尊い仏にすることだったからです。
 
「必ず浄土に仏と生まれさせよう」という如来の願いに出遇ったならば、それはすでに仏となる仲間にさせていただいているということです。
 浄土の教えとは死後の話と思われがちですが、仏となる身に定まる──これこそが今いただいている紛れもない利益であります。そのことを知らされて初めて、私たちは地に足をつけて力強く人生を生き抜くことができるのです。

「滅度」

梵語「ニルヴァーナ」の漢訳。涅槃(ねはん)とも言う。「度」は渡るという意味で、生死の苦を滅して、覚りの彼岸へ渡ることを示す。

「仏となる身に定まる」

現生(生きている今)において、覚りを得ることが定まることを「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)」と言う。現生で往生成仏が定まらないのであれば、このいのち終えるまで不安を抱えて生きていかなければならない。浄土真宗では、臨終でも死後でもなく、信心を得た時に仏となることが約束されるとする。よって、その後の人生は阿弥陀如来のご恩に対する報謝の日暮らしとなる。

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仏説無量寿経(上巻)⑪「限りない智慧と慈悲のほとけ」
 
 第12願(光明無量の願)と第13願(寿命無量の願)にはそれぞれ、
 
「私が仏になるとき、光明に限りがあって、数限りない仏がたの国々を照らさないようなら、決してさとりを開かない」
(第12願 光明無量の願)
 
「私が仏になるとき、寿命に限りがあって、はかり知れない遠い未来にでも尽きることがあるようなら、決してさとりを開かない」
(第13願 寿命無量の願)
 
と誓われています。
 
「光明」は空間的な広がりを示し、「寿命」は時間的な長さを表していますから、阿弥陀さまは「どこまでも、いつまでも」はたらき続ける仏さまです。
「阿弥陀」とはインドの言葉の「ア(無)・ミータ(量)・アーバー(光)」と「ア(無)・ミータ(量)・アーユス(寿)」が語源で、「限りない光といのち」という意味です。
 
 なお、光は仏さまの智慧、寿命は仏さまの慈悲に喩えられることから、阿弥陀如来とは、この私が「いつ」「どこで」迷っていようとも決して見捨てることのない仏さまであり、またそのために限りない智慧と慈悲を具えようと誓って下さった仏さまなのです。
 
 親鸞聖人は、
 
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」
 
とお示し下さいました。
 
 阿弥陀さまだから助けて下さるのではなく、この私を救わんとしてやまないおはたらきを指して「阿弥陀」とお呼び申し上げるのです。

「十方微塵世界」

数えきれない無数の世界のこと。十方は東・南・西・北とその間を加えた八方に上下を足した方角で、全ての世界を表す。

「摂取」

親鸞聖人は、この言葉を「背を向けて逃げていくものを追ってまで救うはたらき」と味わわれている。

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仏説無量寿経(上巻)⑫「名前のほとけ」
 
 第17願は、
 
「私が仏になるとき、全ての世界の数限りない仏がたが、みな私の名をほめたたえないようなら、決してさとりを開かない」
 
とのお誓いで「諸仏称名の願」と言われています。
 
 勿論、法蔵菩薩は自己顕示や名誉欲からこのような願をたてられたのではありません。
 他者と比較して秀でたいという名利の心は人間世界の考え方です。仏の世界はあらゆる我執を超えて互いに認め合う境涯ですから、全ての仏がたにほめたたえられたいということは、最高のおさとり、最高の仏を目指すという決意が表されているのです。
 
 また、この願には全ての仏が讃嘆することによって、あらゆる世界に南無阿弥陀仏の名号が響き渡り、十方の衆生がお念仏申す身になるようにとのお心が込められています。
 その最も具体的な例は、人間の世界に現れたお釈迦さまです。お釈迦さまが無量寿経を説き、阿弥陀さまを讃嘆されたが故に、今私たちはお念仏をいただいています。つまり、私たちが称えているお念仏は、私たちの力ではなく阿弥陀さまのはたらきによるものなのです。そして、諸仏の讃嘆も私たちのお念仏も、第17願の願力より促されたものですから、価値においては変わることがありません。
 
「念仏ひとつで救われる」というのは、私のはからいが一切混じらないからこそ言えるのです。

「讃嘆

仏の徳を真に讃嘆するには、仏の徳をつぶさに知らなければならない。ゆえに凡夫には本当の意味で仏を讃嘆することはできない。諸仏の讃嘆であるところの「南無阿弥陀仏」だからこそ、凡夫の称名念仏が真の讃嘆たり得るのである。

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仏説無量寿経(上巻)⑬「たまわりたる信心」
 
 第18願は「至心信楽の願」と言われ、
 
「私が仏になる時、十方衆生が心からこの願を信じて、我が国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることがないようなら、私は決してさとりを開かない。ただし、五逆と誹謗正法の者は除く」
 
と誓われています。
 
「至心」とは嘘偽りのない真実心、「信楽」とは信心のことですが、これは「嘘偽りのない真実心を起こして信じなさい」と言われているのではありません。
 親鸞聖人は、我が心のどこにも真実の心はなく、十方の衆生を必ず救うと願う阿弥陀如来のお心に嘘偽りがないことをこそ真実心と味わわれたのでした。
 
 普通「信心」と言うと「私が疑いなく信じていく心」とされますが、浄土真宗では「私を救おうという如来のまこと心が私の疑い心を除いて下さった状態」を信心、または安心(あんじん)と言います。伝統的にこれらの言葉に「ご信心」「ご安心」と尊敬語をつけるのは、私の力で起こす信心ではないからです。
 また「わずか十回でも念仏して」というのは、ひと声でも少ないことはなく、百万遍でも多すぎることはない、そもそも念仏は称えた数を問題としない本願他力の行なのであって、如来より賜った信心こそが往生成仏の正しき因ということを示しているのです。
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仏説無量寿経(上巻)⑭「除く と 救う」
 
 さて、第18願の最後には、
 
「ただし、五逆と誹謗正法の者は除く(唯除の文)」
 
と付け加えられています。
 
「五逆」とは殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧のことですが、大乗仏教ではこの限定的な意味を超えて、私たちの生み出すあらゆる罪として理解されます。
 また「誹謗正法」は仏法を謗ることで、これは五逆にまさり最も重い罪です。第18願文では「これらの者は救いから除かれる」と誓われているのです。
 
 一見、阿弥陀様の救いにも例外があると思える表現ですが、親鸞聖人はこのご文にこそ、阿弥陀様のやるせない大悲の心が表れているといただかれたのでした。
「慈悲」の「悲」は、他者の苦しみを我が苦しみと感じて漏れる「うめき声」が語源とされています。
 無自覚に五逆や誹謗正法の罪を造り続けている者に、その罪の重さを知らしめ、それでも見捨てることができないという、うめきにも似た仏心が、この「除く」という言葉には込められているというのです。
 
「もう親でも子でもない!」という台詞は親なればこその悲痛な叫びでしょう。そこに「お前を見捨てるようなら親ではない」という親心が逆説的に表れているとするならば、この唯除の文にはまさに摂取不捨の仏心が示されていると言えるのです。
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仏説無量寿経(上巻)⑮「還って来るすがた」
 
 真実五願の他に親鸞聖人が特に注目された誓願として第22願があります。これは「還相回向の願」と言われ、浄土に往生し仏となられたお方の相(すがた)を誓われたものです。そこには、
 
「我が浄土に生まれる者は、必ず菩薩の最上位である一生補処に至ることができるが、その者の願いによっては、還相の菩薩として様々な国のあらゆる人々を導いて限りない慈悲行を実践することもできる」
 
と説かれています。
 
 還相とは、お浄土に仏と生まれた方が、迷いの世に還り来て衆生を導かんとはたらく相のことです。親鸞聖人は、阿弥陀様のおはたらきには「往相(浄土に生まれて往く相)」と「還相」二つの回向があると示されました。
 
 往生成仏とは私一人で完結するものではありません。覚りの智慧は必ず慈悲となってはたらきますから、浄土に往生された方は私たち迷っている者を放ってはおけず、すぐさまこの世に還って来られるのです。
 
「出世」という言葉は現代でも使われますが、本来は仏教語で「世を出る」と「世に出る」の二つの意味があります。
 この世を出られた方は覚りのはたらきとしてこの世に還って来られます。たとえ目には見えなくとも、それが阿弥陀様の誓われた本当のお覚りであり、仏様の姿なのです。
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仏説無量寿経(上巻)⑯「如来のひとりばたらき」
 
 四十八願の最後に第18願・19願・20願の関係について触れておきたいと思います。
 これらの誓願にはいずれも「十方衆生」という言葉で私たち衆生の往生が誓われていることから「正因三願」と言われています。
 
 第18願はこれまで見てきたように、全ての者に「信」も「行」も与えて救いたいという他力念仏往生の誓いです。
 一方、第19願は自力の行を積んだ者を、その功徳に応じて往生させようという自力諸行往生の誓いであり、また第20願には念仏を称えた功徳によって往生させようという自力念仏往生が誓われています。
 
 他力の救いとは、私の行いが一切役に立たない阿弥陀様のひとりばたらきです。
 ところが、私たちは自ら積み上げたものを手柄とする心がなかなか抜けません。もちろん実生活において努力を積み重ねていくのは尊いことですが、殊「凡夫が仏になる」という話になると、この自分を頼みとする心が邪魔をするのです。
 
 親鸞聖人は、こういった自力心の抜けない者を第18願の他力の救いに誘い入れるために、この第19・20願が建てられたと見られました。そして表面的には自力の救いが誓われているこの二願にも、その奥底には他力の念仏によって救いたいという阿弥陀様の願いが込められていると味わわれたのです。
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仏説無量寿経(上巻)⑰「重ねての誓い」
 
 法蔵菩薩は48願を建てた後、念を押すように誓いの歌を述べます。
 
そこには、
 
「この上ない覚りを得ることができないなら仏とはならない」
 
「限りなくいつまでも苦悩の衆生を救うことができないなら仏とはならない」
 
「南無阿弥陀仏の声が世界のすみずみまで届かないようなら仏とはならない」
 
という三つの誓いが重ねて述べられているので「重誓偈」あるいは「三誓偈」と呼ばれています。
 
 第17願のところでも述べましたが、南無阿弥陀仏のお念仏が私の口から出てくるのは、阿弥陀様がそう誓われたからです。そしてここで尚も、阿弥陀様は「名前の仏となって誰の元へもはたらこう」と誓って下さっているのです。
 親鸞聖人はこのお心を『正信偈』の中で「重誓名声聞十方(重ねて誓うらくは名声十方に聞こえんと)」と示されました。
 
 こうして法蔵菩薩が誓いを述べ終わると、ときに大地が様々に打ち震え、天からは美しい花が降り、麗しい音楽が流れ出しました。そして空中からは「必ずこの上ない覚りを得るであろう」と褒め称える声が響き渡ります。
 
 大いなる願いを全て身にそなえ、偽りの心なく覚りを願い求めた法蔵菩薩は、この後、兆載永劫という計り知れないほど長く厳しい修行に入られるのです。
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仏説無量寿経(上巻)⑱「法蔵菩薩の修行」
 
 法蔵菩薩は自らの願を成就するために、兆載永劫という限りなく永い間修行されました。
 一切の貪り・怒り・愚かさといった煩悩を離れ、空をさとり、はからいを持たず、ひたすら努め励んで功徳を積まれたのです。
 この法蔵菩薩の修行は一体何を意味するのでしょう。
 
 無量寿経には法蔵菩薩が願を立て、阿弥陀仏と成就する因果が説かれますが、親鸞聖人は、阿弥陀様はもともと始まりも終わりもない久遠実成の仏であって、そのさとりの仏がわざわざ法蔵菩薩という菩薩の位に降りて、発願、修行をなさったと味わわれました。そしてそれは他の誰でもない私のためであったと言われるのです。
 
 中国の伝説にある「鸞(らん)」という鳥は、親鳥は大変美しい姿をしているのに、雛は醜いのだそうです。
 親鳥は雛にエサを与えるため、自身を泥で汚して子に近づくと言います。親が親のままでは子と関わることができないが故に、子の姿まで降りてくるのです。同じ様に、仏が仏のままでは阿弥陀様の救いもさとりの世界だけの話になってしまいます。
 
 阿弥陀如来の成仏は私の苦悩を離れていません。この私と関わるために、阿弥陀様は法蔵菩薩という修行者となって、仏と成ってゆく姿を示さなければならなかったのです。 
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仏説無量寿経(上巻)⑲「限りない光の世界」
 
 このように法蔵菩薩の願いと修行の様子を聞いた阿難はお釈迦様に尋ねました。
 
「法蔵菩薩は仏となって、すでに世を去られたのでしょうか、あるいはまだ仏となっておられないのでしょうか、それとも仏となって今現においでなのでしょうか」。
 
 釈尊は答えます。
 
「法蔵菩薩はすでに無量寿仏(阿弥陀仏)という仏となり、現に西方においでになる。その仏の国はここから十万億の国々を過ぎたところにあって、名を安楽(極楽浄土)という」と。
 
 ここでは阿弥陀如来が、過去の仏ではなく、また弥勒菩薩のような未来の仏でもない、今現にはたらいておられる仏であることが説かれています。そして「西方」という方向と「十万億の国々をすぎたところ」という距離、「安楽」という名をもって、お浄土が具体的に示されるのです。
 浄土とは、親鸞聖人が「無量光明土(限りない光の世界)」と表現されているように、本来姿や形を超え、また言葉では言い表せない世界です。それを具体的に示すというのは、私達が姿や形にとらわれた世界、そして言葉の世界を生きているからです。
 
 阿弥陀如来が「南無阿弥陀仏」という声の仏、言葉の仏となってはたらき続けようと願われたのも、姿形、言葉を超えることができない私達を目当てとされたからです。
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仏説無量寿経(上巻)⑳「西方十万億仏土の彼方」
 
 さて、阿弥陀仏の浄土が「西方」にあるというのは、太陽の沈んでゆく先を我がいのちの帰すべき方角として指し示していると言えましょう。
 本来無相無辺の浄土が「西」と限定されることではじめて、私達は浄土を想うことができるのです。それはあたかも金の塊を獅子の形にして幼児に渡すようなものです。幼児は金の獅子を玩具として受け取りますが、それはそのまま金を受け取っていることになります。
 
 また「十万億の国々を過ぎたところ」とは、「限りない煩悩の世界を超えたところ」ということです。
 地球は球体ですから、西の方角へ進み続ければ元の場所に戻ってしまいます。また宇宙へ飛び出していけば「西」という方角も意味をなさなくなるでしょう。つまりこれは物理的な距離を表わしているのではなく、浄土と穢土(凡夫の世界)との限りない隔たりを意味していると言えるのではないでしょうか。
 
 私の側から見れば、仏の世界は限りなく遠い。しかし、仏の側からはそうではありません。距離という相対の世界を超えているのが浄土ですから、この私がどこにいようとも包み込んで離さない、智慧と慈悲のはたらきを「場所」として表わしてあるのが「お浄土」なのです。
 
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仏説無量寿経(上巻)㉑「十劫の昔より」 
 
 阿難はさらに尋ねます。
「その仏(阿弥陀仏)が覚りを開かれてから、どれくらいの時が経っているのでしょうか」。
 
 すると釈尊は
「覚りを開かれてから、およそ十劫(じっこう)の時が経っている」と答えられるのです。
 
 法蔵菩薩は衆生をすくい取る手立てを五劫という時間を掛けて思案されましたが、ここでは法蔵菩薩が阿弥陀仏となられて既に十劫の時が経っていると示されています。
 
 私達は今の人生が我がいのちの全てと思いがちです。しかし仏教は因果を説きますので、何もないところからは何も生まれず、またある日突然無に帰してしまうこともありません。私のいのちは今の生を受ける前から生死(しょうじ)を繰り返し、迷いの世界をへめぐって来ました。十劫という遙か昔に阿弥陀仏が成仏されたということは、この私がどれだけ永く迷いの続けていようとも、それに先んじて阿弥陀様は既に仏となられていて、いつも私はそのお慈悲の中にあったということなのです。
 
 十劫の昔より阿弥陀様はあらゆるいのちに「南無阿弥陀仏」と喚び続けて下さっていました。お念仏申すということは、阿弥陀様に背を向け迷い続けていた私が今漸くその願いに出遇い、次生にはお浄土に仏と生まれる人生を歩ませて頂いているということなのです。
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仏説無量寿経(上巻)㉒「浄土の世界」
 
 続けて釈尊は仰せになりました。
 
「その仏の国は、まばゆく光り輝く七つの宝でできていて、広々として限りがない。またその国には須弥山や鉄囲山などの山はなく、海や谷や窪地などもない。しかしそれらを見たいと思えば、仏の不思議な力によってただちに現れる。また地獄や餓鬼や畜生などの苦しみの世界もなく、春夏秋冬の四季の別もない。いつも寒からず暑からず、調和のとれた快い世界である」
 
 インドの世界観では世界の中心に須弥山と言う山があり、その周りを鉄でできた山が取り囲んでいるとされました。
 そしてこの須弥山世界が千集まって小千世界、その小千世界が千集まって中千世界、さらにこれが千集まって大千世界(三千大千世界)、そしてこの三千大千世界が無数にあると考えられていたのです。
 
 阿弥陀様のお浄土は、このような須弥山世界(人間の世界)とは異なっている、と釈尊は説かれます。
山や海や谷のような世界を分け隔てるものはなく、また暑い寒いといった相対的な認識からも自由な世界。それは実体的な形に捉われず、ゆえにどのような形をとることもできる。
 お浄土は凡夫の世界の延長線上にある「どこか」ではなく、今ここにはたらいている覚りの世界そのものなのです。
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仏説無量寿経(上巻)㉓「因果を超えて」
 
 ここで阿難はひとつの問いをたてます。
 
「浄土に須弥山がないのなら、その山の中腹や頂上にあるという天の世界はどのように保たれるのか」と。
 釈尊は「では、そもそも天のような世界は何によって保たれ、住むことができるのか」と尋ねられ、阿難は「それぞれの行いを原因としてもたらされた不可思議なはたらきとしてそうあるのです」と答えます。
 すると釈尊は「仏がたの世界もまたそのように保たれているのであり、浄土の者たちは皆、功徳の力によりその行いを原因としてもたらされたところに住んでいるのである」と説かれました。
 阿難は「私もそのことを疑いませんが、将来の人々のためにあえて尋ねたのです」とやや自尊心?を覗かせます。
 
 このやり取りは何を意味しているのでしょうか。
 天とは六道の一つです。六道はそれぞれの行いの因果で成り立つ世界ですが、浄土もまた因果を離れた世界ではありません。
 ただし、お浄土は私の行いとその因果で生まれてゆくのではなく、衆生の因果を超えて阿弥陀様の行いとその因果で生まれさせて頂く世界であり、それは阿弥陀様の功徳と不可思議なはたらきによって保たれる世界なのです。
 
 ここでは、浄土とは六道のあり様を超えた世界であり、また仏の願いが成就した世界であることを改めて示されているのかも知れません。
 
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仏説無量寿経(上巻)㉔「十二の光」
 
 続けて釈尊は無量寿仏(阿弥陀仏)の光明が最も尊く、あらゆる世界を照らし尽くすことを十二の光の名で讃えました。
 
曰く「無量光仏・無辺光仏・無礙光仏・無対光仏・焔王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏」と。
 これは親鸞聖人がお作りになった「正信念仏偈」にも出てくる阿弥陀様の異名です。
 
 阿弥陀様は光の仏様と讃えられる訳ですが、光のはたらきとはいかなるものでしょうか。
 光とは闇を晴らし明るく照らします。また照らした対象を暖めるはたらきを持ち、そして木々を成長させるように、いのちを育むものでもあります。
 
 釈尊は「この光明に照らされる者は身も心も和らぎ、喜びに満ちあふれて、どのような苦悩の世界にあっても皆安らぎを得て、ふたたび苦しみ悩むことはなく、いのちを終えて後に迷いを離れることができる」と仰いました。
 苦悩から逃れる道ではなく、苦悩の中にあってもその苦悩に意味が与えられてゆく。光に照らされた人生とは、お念仏と共に苦悩を超えてゆく道と言えるでしょう。
 
「無量寿仏の光明の気高く尊いことは、私が一劫の間説き続けても説き尽くすことができない」。そのお心を釈尊は十二の光に喩えて私達に伝えて下さいました。
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仏説無量寿経(上巻)㉕「限りないいのちのほとけ」
 
 釈尊はさらに仰せになります。
「無量寿仏(阿弥陀如来)の寿命は長く、全ての聖者が百千万劫の間数えても、その寿命の長さを知り尽くせない。またその国に生まれた者の寿命も同様であり、数え知ることも、たとえで表すこともできない」
 
「阿弥陀如来」とは限りない「光」と「いのち」の仏という意味です。「限りないいのちの仏になる」とは、第十二願にある阿弥陀様の願いの一つでしたが、これは未来永劫、苦悩する者を救い続けようという、無限の慈悲の完成を誓ったものでした。
 
「あらゆるいのちを救うことができなければ、仏とはならない」とのお誓いがあるにもかかわらず、いま現に「私」という迷いのいのちがあるのはなぜでしょうか。
 中国の曇鸞大師は「それは、火箸で草原を焼き尽くそうとしたら、火箸が先に燃え尽きてしまうように、衆生を救おうとひたすらであったがために、かえって自分が先に覚りをひらいてしまった仏の姿である」とたとえられました。
 
 私たちの願いは、それが叶えられたときに願いも消えてしまう性質を持っています。しかし阿弥陀様の願いは、そこに迷いの衆生がある限り、決して消えることなく新たな願いとなってはたらき続けるのです。
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仏説無量寿経(上巻)㉖「開かれた教え」
 
 釈尊は続けて仰せになりました。
「無量寿仏(阿弥陀仏)が覚りを開かれて、最初の説法の座に集まった声聞たちの数は、数え尽くすことができない。菩薩たちの数もまた同様である。それは、限りなく深く広い大海の水に対して、人が一本の毛を百ほどに裂き、その一すじの毛で一滴の水をひたし取るようなものである」
 
 目連のような神通力のすぐれた者が数限りなく集まって、命が尽きるまで力を合わせても、知ることが出来るその数は大海に対してわずか一滴だと言うのです。
 この大海のたとえには、阿弥陀様の救いが万人に開かれてあることが示されています。
 
 お釈迦様はお覚りを開かれた時、その内容を人に伝えることを躊躇されました。とらわれの心を持った人々には正しく伝わらないと思われたからです。
 しかし、苦悩する者がいる限り自らも救われないのが本当のお覚りです。お釈迦様は大きな慈悲のはたらきとして、その後の生涯を伝道に費やされました。
 
 どんなに優れた教えでも、ごく限られた者だけが聞くのであれば、それは説かれていないことと同じです。
あらゆるいのちを救うという阿弥陀様の成仏は、あらゆる仏・諸菩薩から望まれたものでした。
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仏説無量寿経(上巻)㉗「浄土の宝樹」
 
 続いて釈尊はお浄土の様子について説かれ始めます。
 
「またその国土には、七つの宝でできたさまざまな樹々が一面に立ち並んでいる」
 
 七つの宝とは金・銀・瑠璃・水晶・珊瑚・瑪瑙・硨磲などのことですが、これらの宝がお浄土の樹木を形作っていると言うのです。また、一つの宝で出来ている木もあれば、金の根、銀の幹、瑠璃の枝、水晶の小枝、珊瑚の葉、瑪瑙の花、硨磲の実というように、七つの宝が合わさった木もあると説かれます。 
 
 私達の世界では、柿の木にりんごの葉や実がつくことはありませんが、お浄土の木は種にとらわれることなく、自在にその姿を示すのです。これらの宝樹が整然と並び、幹も枝も葉も花も実も、全てつりあいよくそろっていて、はなやかに輝き、ときおり清らかな風がゆるやかに吹いてくると色々な音を出して、その音色は見事に調和していると言います。それは幹、枝、葉、花、実、一つひとつが、阿弥陀様の願いの現れであるからです。
 
 風が吹けば互いの主張がぶつかりあって不協和音を起こし、やがては山火事へと発展するのが私達の生きる世の中です。お浄土の樹木は、互いが真に認め合う、一切が調和した平等の世界を示しているのでしょう。
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仏説無量寿経(上巻)㉘「報土と化土」
 
「また、無量寿仏の国の菩提樹は高さが四百万里で、根もとの周囲が五十由旬であり、枝や葉は二十万里にわたり四方に広がっている」
 
 これは浄土にある七宝に飾られた道場の様子で、そこに集まった者は阿弥陀仏の説法を聞いて覚りを得ると説かれています。ただ、親鸞聖人はこの一節を「方便化土」の世界と見られました。
「方便化土」とは「真実報土」に対する言葉で、自力の行者が生まれる仮の浄土のことです。
 なぜ仮の世界かと言うと、一つには無量無辺の浄土にあって菩提樹の大きさが数値で表されているからです。また説法を聞いてそれぞれの能力に応じた覚りをえると言うのも、一切が平等の覚りを得る真実報土の世界とは異なっています。
 阿弥陀様の救いはあらゆるいのちに向けられたものです。しかし、自分の力や行いを頼みとする者は、その自力心でもって方便の世界にとどまるのです。そこは真実の浄土へ導くために阿弥陀様がご用意された仮の世界です。
 
 自分の力で往生するのですから、方便化土は優れた聖者たちの世界でしょう。しかし、阿弥陀様が願われた真実の浄土は、聖者も凡夫も等しく同じ覚りを得る世界であったのです。それはひとえに他力のおはたらきによって生まれてゆく真如の世界でした。
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仏説無量寿経(上巻)㉙「浄土の音楽」
 
 続いて釈尊は、浄土の音楽について説かれます。
 世間には数限りない音楽がありますが、どのような美しい音楽より、浄土の宝樹から出るわずか一つの音の方が千億倍もすぐれているそうです。その音が合わさって無数の麗しい音楽を奏でていて、それらの音楽は全て仏の教えを説き述べているのです。お浄土とは音楽に満たされた世界といえるでしょう。
 およそこの世界に音楽を持たない民俗はないと聞いたことがあります。リズムをきざみ旋律を奏でることは人間にとって根源的な営みと言えます。
 お経は翻訳された文字を通して日本に伝えられましたが、釈尊入滅後の初期仏教は、およそ二百年間、文字に表わされず声に乗せて偈文(詩)の形で伝えられました。それは文字となって身から離れることで教えに対する敬虔さが失われると考えられたからです。仏法とは単なる知識ではなく、身を通して体現してゆくものだったのです。
 ご法事で唱えられる旋律に乗せたお経を声明(しょうみょう)と言いますが、私たちは音楽を通してブッダの教えに触れ、この身に頂いていると言えるでしょう。「南無阿弥陀仏」のお念仏も、口に称えてみることが慣用です。お念仏は我が身に現れて下さった声の仏さまなのですから。
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仏説無量寿経(上巻)㉚「浄土の水」
 
 またお浄土には至る所に様々な大きさの池があり、そこには不可思議な力を持った水がたたえられています。
 もし誰かがこの池に入り、足をひたしたいと思えば水はすぐさま足をひたし、腰までと思えば腰まで、首までと思えば首まで水かさが増してくる。身にそそぎたいと思えばおのずから身にそそがれ、元に戻そうと思えばたちまち元通りになるそうです。その冷たさ暖かさはよく調和して望みにかない、清く澄みきってあるのかどうか分からないほどであると言います。
 「ああ極楽」という声が聞こえてきそうですが、私たちが湯に入るとき、それぞれに好みの広さや深さ、熱さがあるものです。昔ながらの銭湯には「熱湯(あつゆ)」と言われる、常人ではとても入れないような温度でなければ物足りない人もいて、水で埋めようものなら文句を言われるとか。お浄土はとらわれを超えた世界ですから、「私の好み」を押しつけ合う世界ではないのでしょう。
 親鸞聖人は「極楽」を「よろづのたのしみつねにして、くるしみまじわらざるなり」とお示しですが、もちろんこれは私の欲を満足させる世界ではなく、苦の滅せられた自在の境涯をこそ「楽しみ」と言われているのです。
 ここでは「水」の恵みを通して浄土が説かれています。
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仏説無量寿経(上巻)㉛「清らかな仏の国」
 浄土の世界では、風が吹くと宝樹が清らかな音色を奏でるように、池の上にはさざ波が立って美しくすぐれた音を出し、その音が声となって、仏のすばらしい教えを伝えます。そこには、
「苦しみの世界である地獄や餓鬼、畜生という名さえなく、ただ美しく快い音だけがあるから、その国の名を安楽と言うのである」と釈尊は説かれました。
 「浄土」とは私たちのいる煩悩にけがれた「穢土(えど)」に対する言葉で、清らかな仏の国を意味しますが、特に阿弥陀様が建立された浄土は梵語で「スカーヴァティ」といい、「安楽」、「極楽」、「安養」などと意訳されました。もろもろの楽しみが常で苦しみがまじらず、心安らかに身を養う世界ということでしょう。
 阿弥陀様の四十八願の第一番目の願は、
「私が仏になるとき、我が国に地獄や餓鬼や畜生のものがいるようなら、私は決して覚りを開かない」というものでした。
 
 阿弥陀様が「地獄や餓鬼、畜生の名すらない世界」を願われたのは、自ら地獄へ落ちてゆく者を殊にあわれみ、そういう者をこそ目当てとされたからでありましょう。親鸞聖人は「地獄こそが我が住処」と述懐されていますが、同時に阿弥陀如来の願いは「私ひとりを救うためであった」と慶ばれたのです。
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仏説無量寿経(上巻)㉜「浄土の食事」
「またお浄土では、食事をしたいと思えば七つの宝でできた器が現れ、そこにはおのずから素晴らしい食べ物や飲み物が溢れるほどに盛られている。しかしこのような食べ物があっても実際に食べる者はいない。ただそれを見、香りをかぐだけで食べ終えたと感じ、おのずから満ち足りて、決してその味に執着することはない」
 せっかくごちそうが思いのままに現れても、お浄土ではそれを食べる人はいないのだそうです。何とも味気ない話ですが、思えば「食欲」も執着の一つです。
 ある布教使の方が「腹が減ったら何か食べたい」は本能、「どうせ食べるなら美味しいものが食べたい」は煩悩、と仰っていました。
 私たちは、元は何かの「いのち」であったものを「食べ物」と称して「美味しい」の「不味い」のと言いながら、そこに犠牲となった者の尊厳を忘れがちです。
 お浄土では実際に食べる者はいないというのは、他のいのちを犠牲としない世界であり、また食べられるためのいのちも存在しないということではないでしょうか。
 お浄土での食事の様子をうかがいながら、今一度「いのちをいただく」ということに思いを向け、食事の際は感謝の心を持って「いただきます」と手を合わせたいものです。
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仏説無量寿経(上巻)㉝「浄土の人々の姿」
「その国の声聞・菩薩・天人・人々は、みなすぐれた智慧と自由自在な神通力をそなえ、姿かたちも皆同じで、何の違いもない。ただ他の世界の習慣にしたがって天人とか人間とか言うだけで、その姿は世に超えて美しく、いわゆる天人や人間のたぐいではない。全ての者が、かたちを超えたすぐれたさとりの身を得ているのである」
 浄土の人々は、皆同じく美しい姿をしていると言います。しかし、それはどうも私たちの感じている美しさとは違うようです。
 人にはそれぞれ憧れる容姿やスタイルがあるもの。しかし、そこに普遍的な価値観があるのかと言えばそのようなものはどこにもなく、時代や地域によって異なる曖昧な基準に過ぎません。
 
「かたちを超えた」というのは「かたちに執着しない」という意味です。阿弥陀さまは、どこまでも姿形に執着する私たちをご覧になられて、浄土をどのように整えるべきか考えられたのでしょう。
 お浄土の人々の様子は、私たちの美醜という感覚が、私たちの作り出す勝手な物差しに過ぎないということを教えて下さいます。肌の色や容姿の良し悪しで、お互いに優劣をつけている私たちの世界に対して、お浄土は誰もがそのままに認められていく、真に平等の世界として示されているのです。
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仏説無量寿経(上巻)㉞「比較の世界を超えて」
 
 釈尊は仰せになります。
 
「さて、たとえば世の中の貧しい乞人を王のそばに並べるとしたら、その姿かたちがはたして比べものになるだろうか」
 
 この問いに、阿難は、
 
「乞人のみすぼらしさは王とでは全く比較にならず、その差は過去の行いによるでしょう」と答えます。
 釈尊は自らを「業論者」であると言われました。
 業とは行為のことで、自身の行いがその後の我が身を形作っていくという考え方です。
「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンになるのではない。行為によって賤しい人となり、バラモンともなる」
 
との釈尊の言葉は、努力することの意味と、生まれによって身分が決まってしまうカースト社会からの解放を示していました。
 さらに釈尊は、そのような王であっても転輪聖王の前では見劣りがし、転輪聖王も帝釈天に比べると劣っている。その帝釈天であっても、他化自在天の王に比べると全く見劣りがする。そしてその他化自在天の王でさえ、浄土の人々に比べるとはるかに及ばないと説かれます。
 
 お浄土に生まれるということは、こうした業による比較の世界を超えて、いかなる王も及ばない最高のいのちを賜るということなのです。たとえ今生では煩悩にまみれた凡夫であろうとも、阿弥陀様の願力によって尊いみ仏とならせていただくのです。
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仏説無量寿経(上巻)㉟「浄土のはたらき」
 
 さて、お浄土は全てが清らかで美しく、調和の取れた世界です。心地よい風が吹けば花びらを散らし、かぐわしい香りに覆われます。
 また色々な宝でできた蓮の花がいたる所に咲いていて、それぞれの花には百千億の花びらがあり、その花の放つ光には無数の色があると言います。
 これは、ただ沢山の色があるという意味ではなく、青い色は青く、赤い色は赤く、個々が自らの色を輝かせている世界だということです。平等でありながら、違ったままで価値が認められているのがお浄土なのでしょう。
 そしてさらに、これらの花の中から三十六百千億の光が放たれ、その光の中から三十六百千億の仏がたが現れます。この仏がたがまたそれぞれ百千の光を放ち、広く全てのものに優れた教えを説き、数限りない人々にさとりの道を歩ませるのです。
──ここまでで『仏説無量寿経』の上巻が終わります。
 お経には一見おとぎ話のような世界観が説かれていますが、そこにはさとりの真実が私たちに沿う形で示されています。
 それらの表現は、全て阿弥陀様のお慈悲のはたらきを表したものですから、私たちは「いつでもどこでも仏さまのお慈悲に抱かれてある」ということをそのままお聞かせ頂いて、ただただお念仏申すばかりです。
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