聖典拝読
寺報『正法寺便り』に掲載した「聖典拝読」と、
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経
梵語スートラの漢訳。釈尊の説かれた言説をが後にまとめられたもの。過去から未来まで、私のいのちを貫く真実の言葉。
釈迦
仏教の開祖。約2500年前、インドの釈迦族の王子として生れた。生老病死への問いから、道を求めて29歳で出家。6年にわたる苦行の末にこれを棄て、ブッダガヤーの菩提樹の元でさとりを開いた。35歳でブッダとなってから、80歳で入滅するまで、あらゆる人々に苦悩を越える道を説き続けた。
八万四千の法門
釈迦一代の教えが極めて多いことをあらわす。親鸞聖人は、他力本願の教え以外の、あらゆる自力方便の教えとされている。
浄土三部経
浄土真宗の根本経典。「浄土三部経」の名称は、親鸞聖人の師、法然聖人の『選択本願念仏集』による。無量寿経は「大経」、観無量寿経は「観経」、阿弥陀経は「小経」と略されることがある。
真実の教
親鸞聖人の『教行信証』教巻に「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」とある。
仏説無量寿経(上巻)①「真実の教え」
皆さんは「お経」に対してどのようなイメージをお待ちでしょうか。「漢字の羅列」、「呪文みたいなもの」、「ご利益のありそうな言葉」等々あっても、「お釈迦様が説かれた教え」ということは誰もがご存知のことと思います。
「八万四千の法門」と言われるように、お釈迦様は実にたくさんの教えを説かれました。その理由は、病気を治すのにそれぞれ適した処方をするように、お釈迦様が私たちの数限りない苦悩の一つ一つに応えていかれたからなのです。
そして数多くの経典の中から、親鸞聖人が、人の生き方を問わず、誰もが平等にすくわれる教えとして依りどころとされたのが「浄土三部経」と言われる三つの経典(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)です。
今回から、この浄土三部経の内、親鸞聖人が「真実の教」と言われた『仏説無量寿経』に焦点を当てて、少しずつ拝読して参りたいと思います。
普段のご法事でもお勤めされているこの経典には、阿弥陀如来の計り知れない願いが、壮大な物語の形で描かれています。
その内容を他人事でなく「我が事」としてお聞かせいただくとき、このお経が単なる物語でも、ましてや呪文でもなく、お釈迦様が私のために説いて下さった、まさに「真実の教え」として身に添うものになるはずです。
仏説無量寿経(上巻)②「我聞如是」
お釈迦様の説かれた「お経」は実に様々ですが、序分(序論)、本分(本論)、流通分(結論)の流れで展開されるという内容構成は大体共通しています。
『無量寿経』も例外ではなく、「我聞如是~」に始まる序分では、このお経が「いつ」、「どこで」、「誰に対して」説かれたか、そしてその説かれた理由が明らかにされます。
現代においても、重要な書類等には日付や場所を記すことは必須です。そしてお経ではさらに「誰に対して」がクローズアップされ、『無量寿経』には「大比丘衆万二千人」、「大乗の諸々の菩薩」と記されています。
これは釈尊の弟子のみならず、あらゆる菩薩方が聴聞され、このお経の確かさを証明していることを意味しているのです。
さて、お経は例外なく「如是我聞」あるいは「我聞如是」で始まります。
「経」とは、釈尊の言説を後に弟子の方々が教えをまとめたものですが、ここには「お釈迦様はこう仰った」と、ただ記録として記すのではなく、「お釈迦様よりこのようにお聞かせ頂きました」という聴聞の姿勢が貫かれているのです。
「仏法は聴聞にきはまる」とは蓮如上人のお言葉ですが、聴聞とは仏様のお心を聞くことであって、お経を通して阿弥陀様の大悲のお心をお聞かせ頂くことが何より肝要なのです。
我聞如是
「いつ」「どこで」「誰が」「誰から」」「このように」「聞いた」という、経の説かれた場の成立を六事成就という。お経の認定条件。
大比丘衆
大いなる比丘(僧)の集まり。姿は弟子、でも本当は神通力を備えた大聖たち。
菩薩
さとりを求める者。仏の前段階。大乗仏教では、自らのさとりのみならず、他者をさとらしめる利他の心をそなえた者をさす。
釈尊の言説
釈尊の入滅後まもなく、その教えの散逸や異説を防ぐために第一回仏典結集が行われた。しかし、しばらくは暗唱による伝承のみで、文字化されるのは一説には100~200年後といわれている。
仏法は聴聞にきはまる
『蓮如上人御一代記聞書』の言葉。柔らかな水が固い石を穿つように、いかに不信であってもお慈悲の中で聴聞を続ければご信心を得られるということ。
仏説無量寿経(上巻)③「阿難の問い」
それでは経典の内容に入って参りましょう。
そのとき釈尊は、王舎城の耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に一万二千人のすぐれた弟子たちとおいでになりました。すると、いつも釈尊に付き添いお世話をしていた阿難(あなん)尊者が、今日の釈尊の様子がいつもと違い、輝きに満ちていることに気づきます。
阿難がそれを告げると、釈尊はその気づきが天人に教えられたものなのか、阿難自らの考えによるものなのかを尋ね、阿難は自らの考えによると答えるのです。
なぜ釈尊はそのようなことを尋ねたのでしょうか。
このとき阿難はまだ覚りを得ていなかったといわれます。沢山の優れた弟子や菩薩達がいる中で、まだ覚りを得ていない阿難が誰よりも早く仏の智慧と慈悲の輝きに気づいたことを釈尊は歓び、そして問わずにはいられなかったのでしょう。なぜなら、釈尊が仏の本懐としてこれから説かんとしている教えは、自らの力では覚りを開くことのできない凡夫にこそ向けられたものだからです。
阿難尊者は、いわば私達全ての凡夫の代表として、この問いを立てて下さったのです。この阿難の問いに促されて、今ここに、阿弥陀如来の願いが説かれる機縁が熟しました。釈尊は仰います。
「阿難、あきらかに聴け、いまなんぢがために説かん」と。
「なんぢ」とは、この「わたし」のことです。
王舎城の耆闍崛山
王舎城は釈尊在世当時のマガダ国の首都。現在ではインドのラージギルにあたる。耆闍崛山は王舎城郊外の山で、釈尊の説法の中心地。頂上に鷲の頭のような岩があることから霊鷲山(りょうじゅせん)とも呼ばれ、『無量寿経』をはじめ『観無量寿経』、『法華経』などが説かれた。
阿難(阿難陀)
梵語アーナンダの音訳。釈尊十大弟子のひとりで、いつもそばに仕え最も多くの説法を聞いたことから「多聞第一」と言われる。釈尊の従弟で男前。
覚りを得ていなかった
阿難は釈尊入滅の時において未だ覚り(阿羅漢果)を得ていなかったため、多聞第一でありながら、まもなく開かれる仏典決集への参加が認められなかった。彼は一心に瞑想修行にいそしみ、ついに覚りを得て第一回決集の主役に、そして経典の語り部となった。
仏説無量寿経(上巻)④「法蔵菩薩の登場」
釈尊は阿難に語り始めました。
「今より遥かに昔に、錠光という仏がお出ましになり、数限りない人々を教え導いてさとりを得させ、やがて世を去られた。次に光遠という名の仏がお出ましになった。次に月光、栴檀香…龍音、処世という名の仏がたが出られ、みな世を去られた…」
ここには五十三の過去仏の名が挙げられています。
仏教では、キリスト教やイスラム教のような、唯一の神がこの世界を造り、他を認めないというような一神教の立場をとりません。仏(ブッダ)とは法(ダルマ)を覚った者のことであり、不生不滅の真理(如)より現れ出られた(来)お方であるがゆえに「如来」と申し上げるのです。
仏教が過去・現在・未来と、三世を通して多くの仏をたてるのは、真理への固執(自是他非)を否定し、また法の普遍性を示さんがためです。
そして次の五十四番目に、世自在王仏(せじざいおうぶつ)が現れ、その元にひとりの国王が登場します。
「その時ひとりの国王がいた。世自在王仏の説法を聞いて深く喜び、この上ないさとりを求める心を起こし、国も王位も捨て、出家して修行者となり、法蔵と名乗った」
この法蔵と名乗られた修行者こそ、後に阿弥陀如来となられる法蔵菩薩です。
錠光(じょうこう)
燃灯(ねんとう)仏とも言う。過去世に出現して、釈尊の前生に対して「あなたは未来に仏となるであろう」と予言したとされる。
神
仏教の基本は無我であり、あらゆる物は縁起的に成り立っているのであって、永遠不滅の実体である我(アートマン)の存在は否定される。よって、この世界を支配する創造主的な神の存在も想定されない。仏教にも神々は説かれるが、多くは仏をサポートする立場であり、あくまで六道の迷いを離れるものではない。
法(ダルマ)
語源は「保つもの」。古代インドでは社会を保つ原理としての規範や真理を指した。仏教ではさらに意味を深めて、存在を構成し維持させる要素を示し、世界の在り方・人間の生き方をも指す語となった。釈尊はこの法について、自らが創造したものではなく、厳然としてあった法を覚ったに過ぎないと述べられている。
如来
梵語タターガタの意訳。真如より現れ来った者、あるいは真如を覚った者。仏さまのこと。この意味からも、如来とは単なる名前ではなく、動的なはたらきとして味わうことができる。
世自在王仏
阿弥陀如来のお師匠さま。世間一切の法に自在であり、また世間を利益するのも自在であるという。その名の通り、とにかく自由自在のすぐれた仏さま。
仏説無量寿経(上巻)⑤「師を讃える歌」
志高く優れた修行者であった法蔵菩薩は礼拝の姿勢をとり、師である世自在王仏を讃える歌を唱えます。この「光顔嶷々(こうげんぎぎ)」で始まる歌が、様々な仏事でお勤めされる「讃仏偈(さんぶつげ)」です。
法蔵菩薩はその中で、世自在王仏の徳を讃え、師仏のごとくあらゆる生きとし生けるものを救いたいと願い、十方諸仏にその証明を請います。
つまり「讃仏偈」の「仏」とは阿弥陀様ではなく世自在王仏のことで、この歌は阿弥陀様が菩薩であった時に師を讃嘆している内容なのです。これは言うなれば法蔵菩薩の願いが込められた決意表明です。
「お経は挙げるものではなく頂くもの」と言われることがあります。讃仏偈をお勤めするということは、法蔵菩薩(阿弥陀様)の願いを読誦しながら、そのままその願いをお聞かせ頂いていることに他なりません。
法蔵菩薩は讃仏偈の最後を「仮令身止、諸苦毒中、我行精進、忍終不悔(たとえどんな苦難にこの身を沈めても、さとりを求めて耐え忍び、修行に励んで決して悔いることはない)」と結んでいます。
わが身にに向けられた親の心を子が知るように、私達は讃仏偈を頂きながら、「決して迷わせはしない」という阿弥陀様のお心に触れているのです。
法蔵菩薩
梵語ダルマーカラの意訳。阿弥陀仏の修行中の名。菩薩(因)が修行して仏(果)となるのが通常の因果だが、法蔵菩薩は仏(果)から菩薩(因)の位へ降りてこられたとされる。仏がわざわざ人間の姿をとり、菩薩となって修行されるのは、ひとえに阿弥陀仏の救い(南無阿弥陀仏)のいわれを伝えんがためである。
願い
仏は必ず願いを持つ。人間の願いは自己中心的だが、仏の願いはあらゆるいのちへ平等に向けられる。浄土真宗という教えは、この仏の願いを「私ひとりに向けられたもの」として聞いていくものである。
仏説無量寿経(上巻)⑥「二百一十億の世界」
「讃仏偈」を唱え終えた法蔵菩薩は、どのように修行し浄土を整えるべきか、師の世自在王仏に教えを請います。
世自在王仏は「それはあなた自身が知るべきであろう」と一旦拒否するのですが、法蔵菩薩は「そのような深広なる境涯は、とても私の及ぶものではありません」と食い下がるのです。
「あらゆるいのちを救いたい」と願われたのが法蔵菩薩です。あらゆる者を救うには、あらゆる世界をありのままに知らなければいけません。それが出来るのは仏の智慧のまなこをおいて他になく、まだ修行中の法蔵菩薩は、自らの独善に陥ることを戒めたのでしょう。
世自在王仏は法蔵菩薩の意を酌み、
「あなたの志は、大海の水を升で汲み干すように困難なことだが、つとめ励み、覚りを求め続けるならば、大海の底の宝を手に入れるように、どのような願いも満たされるだろう」
と、広く二百一十億の様々な仏の国に住んでいる人々の善悪と、国土の優劣を説き、法蔵菩薩の願いのままに、それらを全て目の当たりに見せられました。
この二百一十億という数字には、法蔵菩薩が、まさにあらゆる世界の苦悩を見ていかれたことが示されています。つまり、この「私」の苦悩も見抜かれた上で仏となられたのが阿弥陀様なのです。
それはあなた自身が知るべきであろう
世自在王仏が法蔵菩薩の請いを一端拒否したのは、法蔵が真如より現れた仏であって、建立すべき浄土のことは今更説くまでもないと考えたからだとも言う。
二百一十億
二百十億と同じで、満数(全て)を表す数字。
この私の苦悩
ここでは遠い過去の物語として描かれているが、ブッダの知見は時空を超え、三世(過去・現在・未来)にとらわれることはない。
仏説無量寿経(上巻)⑦「五劫の思案」
法蔵菩薩は世自在王仏の教えを聞き、二百一十億の様々な世界を詳しく見られて、ここにこの上なくすぐれた願いを起こされました。それは自らの煩悩によって苦悩し迷い続けている凡夫をこそ救うという、とてつもない願いでした。そしてどうすればその願いを成就できるか、五劫という果てしなく長い間思案されたのです。
「劫」とはインドの時間の単位で様々な喩えがありますが、ヒンドゥーの概念では人間の年に換算すると43億2千万年にあたるそうです。
親鸞聖人は迷いの衆生を「煩悩具足の凡夫」と示されました。凡夫とは本来、仏にはなれない存在です。その凡夫をそのまま救うのですから、この五劫という時間には救われがたき我々の煩悩の深さが見て取れます。
そしてわが身に引きよせて味わうならば、この私を救う方法を見出すために、法蔵菩薩は五劫という長い時間考え尽くさなければならなかったということです。
法蔵菩薩は、衆生を生まれさせる浄土をととのえるための「願」と「行」を選び取り、そのことを世自在王仏に告げました。
世自在王仏は法蔵菩薩に対し、「今こそ、その願を述べるがよい」とうながし、法蔵菩薩は応えます。
こうして明らかにされた48の願いが、すなわち阿弥陀如来の誓願、48願なのです。
劫
仏教では具体的な年数では表されず、龍樹は『大智度論』の中で、芥子劫(4000里四方の城壁内の芥子粒を100年に一度拾い上げて、全て無くなっても一劫に満たない)・盤石劫(4000里四方の巨石を100年に一度天女の羽衣で撫で、すり減って無くなって一劫に満たない)など、気の遠くなるような例え話で示されている。
「願」と「行」を選び取り
「選び取る」ということは、同時にそれ以外は「選び捨てる」ということである。法蔵菩薩は凡夫を救うために不要となるあらゆる願行を選び捨て、48の願いを建てられた。
仏説無量寿経(上巻)⑧「四十八の願い」
菩薩は仏になろうと志すとき、自らの願いを示し、成就しようと誓いをたてます。これを「願」あるいは「誓願」といいますが、これには全ての仏に共通する「総願」と、それぞれの仏の固有の「別願」があります。総願とは「四弘誓願(しぐぜいがん)」のことで、
一、「衆生無辺誓願度(一切の衆生をさとりの岸にわたそう)」
二、「煩悩無尽誓願断(一切の煩悩を断とう)」
三、「法門無量誓願学(一切の教えを学びとろう)」
四、「仏道無上誓願成(この上ないさとりを成就しよう)」の四つです。
仏とはこの四つの願いを成就された方ですから、どの仏さまもその願いの先にはあらゆる生きとし生ける者の成仏があります。ではそれぞれの仏さまの違いは何かといえば、その救いの手立てが異なるのであって、「別願」にはそこが示されてあるのです。
代表的な別願には釈迦仏の五百願、薬師仏の十二願、阿弥陀仏の四十八願などがあり、阿弥陀さまは「設我得仏……不取正覚(……が叶わないなら覚りは開かない)」という願を48にわたって宣言されました。
ここではその一つひとつに触れることは出来ませんが、お念仏による救いの根本となる第18願を中心に、親鸞聖人が注目された阿弥陀如来の主な誓願を、次回より味わって参りたいと思います。
「四弘誓願」
一番目が「一切の衆生を救う」という利他の誓いであることに注目されたい。後の三つはこれを果たさんがための自利の誓願である。自利と利他はダイナミックに相関し合う。仏になるということは、他者を救い続けるということである。
「第18願」
仏が菩薩であったとき(因位)に起こした願を本願(因本の願)という。阿弥陀仏の48願の中では、あらゆるいのちを救いとる根本の願いとして、特に第18願をさす。
仏説無量寿経(上巻)⑨「阿弥陀如来の願い」
阿弥陀如来の48願を大きく分類すると、
一、「私はこのような仏になりたい(摂法身の願)」
二、「私はこのような浄土を建立したい(摂浄土の願)」
三、「私はこのような方法で人々を救いたい(摂衆生の願)」
という、おおよそ三つに分けることができます。
これを中国の善導大師は、それぞれの願は第18願の念仏往生の心を広げて説明しているだけで、全ては第18願に収められるとされました。つまり48願全体が我々衆生のためということです。
第18願には「わずか十声であっても私の名号(南無阿弥陀仏)を称えて浄土に生まれたいと願っている者を、もし生まれさせることができないようなら、決してさとりは開かない」と誓われています。
本来ならば、すでにさとりの境地に到達している菩薩でなければ生まれることのできない浄土(真実報土)へ、どのような罪悪深重の凡夫であっても、心から生まれたいと願わせ、念仏申す身に育てて、必ず渡してみせると誓うこの願に、阿弥陀如来の願いが集約されているというのです。
この善導大師の解釈は法然聖人から親鸞聖人へと承け継がれていきますが、親鸞聖人はさらに、この第18願の内容を詳しく説いたのが第11、12、13、17、18の五つの願であると見られ、ちょうど握り拳(第18願)と手を開いた五本の指(五願)の関係のように、これらを真実五願として注目されました。
「分類」
浄影寺の慧遠は、第12,13、17願を摂法身、第31、32願を摂浄土、それ以外の願を摂衆生に割り当てている。ただし、慧遠の示す「衆生」は穢土の衆生のみならず、浄土の聖衆も指すことに注意されたい。
「善導大師」
称名念仏を中心とする中国浄土教の大成者。『観無量寿経』が聖者ではなく、凡夫の救いが説かれた教えであることを明らかにされた。善導の影響で唐代においては念仏ブームが巻き起こった。浄土真宗七高僧の第5祖。
「それぞれの願」
第18願の救いを明らかにするために、他の47の願いが加えられたと味わうこともできる。
「真実報土」
仏の願行に報いて成立したのが報土であるが、そこには真実と方便がある。阿弥陀仏が真に衆生を生まれさせたいと願われたのが真実報土。一方で、自力のはからいにとらわれた者を迎え入れるため、仮にご用意下さったのが方便化土である。
「法然聖人」
親鸞聖人のお師匠様。「称名念仏ひとつで仏になれる」という専修念仏の教えを明らかにして浄土宗を開かれた。親鸞聖人は生涯、法然聖人の一弟子の立場で、師の教えを誤りなく伝えることに尽力された。
仏説無量寿経(上巻)⑩「仏と成る仲間」
親鸞聖人が注目された真実五願の内、第11願は「必至滅度の願」と呼ばれ、浄土に往生したものは必ずさとりを開くことができると誓われています。
『私が仏になるとき、私の国の天人や人々が正定聚に入り、必ず覚りを得ることがないようなら、私は決して覚りを開かない』
「正定聚」とは「仏となる身に定まった仲間」という意味で、この願文だけを見れば、お浄土に生まれた者が正定聚に入り、そこで修行をして仏になると誓われているように思えます。しかし親鸞聖人は、他力の信心を得た時すでに仏となる身に定まり、浄土に生まれればすぐさま覚りを開く(滅度)、つまり往生即成仏を誓った願と味わわれました。
それは阿弥陀様の根本的な願いが、単に浄土に生まれさせて後は自由に修行しなさいという程度のものではなく、あらゆる凡夫を尊い仏にすることだったからです。
「必ず浄土に仏と生まれさせよう」という如来の願いに出遇ったならば、それはすでに仏となる仲間にさせていただいているということです。
浄土の教えとは死後の話と思われがちですが、仏となる身に定まる──これこそが今いただいている紛れもない利益であります。そのことを知らされて初めて、私たちは地に足をつけて力強く人生を生き抜くことができるのです。
「滅度」
梵語「ニルヴァーナ」の漢訳。涅槃(ねはん)とも言う。「度」は渡るという意味で、生死の苦を滅して、覚りの彼岸へ渡ることを示す。
「仏となる身に定まる」
現生(生きている今)において、覚りを得ることが定まることを「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)」と言う。現生で往生成仏が定まらないのであれば、このいのち終えるまで不安を抱えて生きていかなければならない。浄土真宗では、臨終でも死後でもなく、信心を得た時に仏となることが約束されるとする。よって、その後の人生は阿弥陀如来のご恩に対する報謝の日暮らしとなる。
仏説無量寿経(上巻)⑪「限りない智慧と慈悲のほとけ」
第12願(光明無量の願)と第13願(寿命無量の願)にはそれぞれ、
「私が仏になるとき、光明に限りがあって、数限りない仏がたの国々を照らさないようなら、決してさとりを開かない」
(第12願 光明無量の願)
「私が仏になるとき、寿命に限りがあって、はかり知れない遠い未来にでも尽きることがあるようなら、決してさとりを開かない」
(第13願 寿命無量の願)
と誓われています。
「光明」は空間的な広がりを示し、「寿命」は時間的な長さを表していますから、阿弥陀さまは「どこまでも、いつまでも」はたらき続ける仏さまです。
「阿弥陀」とはインドの言葉の「ア(無)・ミータ(量)・アーバー(光)」と「ア(無)・ミータ(量)・アーユス(寿)」が語源で、「限りない光といのち」という意味です。
なお、光は仏さまの智慧、寿命は仏さまの慈悲に喩えられることから、阿弥陀如来とは、この私が「いつ」「どこで」迷っていようとも決して見捨てることのない仏さまであり、またそのために限りない智慧と慈悲を具えようと誓って下さった仏さまなのです。
親鸞聖人は、
「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」
とお示し下さいました。
阿弥陀さまだから助けて下さるのではなく、この私を救わんとしてやまないおはたらきを指して「阿弥陀」とお呼び申し上げるのです。
「十方微塵世界」
数えきれない無数の世界のこと。十方は東・南・西・北とその間を加えた八方に上下を足した方角で、全ての世界を表す。
「摂取」
親鸞聖人は、この言葉を「背を向けて逃げていくものを追ってまで救うはたらき」と味わわれている。
仏説無量寿経(上巻)⑫「名前のほとけ」
第17願は、
「私が仏になるとき、全ての世界の数限りない仏がたが、みな私の名をほめたたえないようなら、決してさとりを開かない」
とのお誓いで「諸仏称名の願」と言われています。
勿論、法蔵菩薩は自己顕示や名誉欲からこのような願をたてられたのではありません。
他者と比較して秀でたいという名利の心は人間世界の考え方です。仏の世界はあらゆる我執を超えて互いに認め合う境涯ですから、全ての仏がたにほめたたえられたいということは、最高のおさとり、最高の仏を目指すという決意が表されているのです。
また、この願には全ての仏が讃嘆することによって、あらゆる世界に南無阿弥陀仏の名号が響き渡り、十方の衆生がお念仏申す身になるようにとのお心が込められています。
その最も具体的な例は、人間の世界に現れたお釈迦さまです。お釈迦さまが無量寿経を説き、阿弥陀さまを讃嘆されたが故に、今私たちはお念仏をいただいています。つまり、私たちが称えているお念仏は、私たちの力ではなく阿弥陀さまのはたらきによるものなのです。そして、諸仏の讃嘆も私たちのお念仏も、第17願の願力より促されたものですから、価値においては変わることがありません。
「念仏ひとつで救われる」というのは、私のはからいが一切混じらないからこそ言えるのです。
「讃嘆」
仏の徳を真に讃嘆するには、仏の徳をつぶさに知らなければならない。ゆえに凡夫には本当の意味で仏を讃嘆することはできない。諸仏の讃嘆であるところの「南無阿弥陀仏」だからこそ、凡夫の称名念仏が真の讃嘆たり得るのである。