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聖典拝読
寺報『正法寺便り』に掲載した「聖典拝読」と、
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2024年6月
「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀
つれてゆくぞの 親のよびごえ」原口針水
私が「南無阿弥陀仏」とお念仏すると、私の耳に「南無阿弥陀仏」と聞こえます。この聞こえてくるお念仏を、親鸞聖人は阿弥陀様の喚び声と味わっておられます。阿弥陀様は遠くから「こっちへ来いよ」と呼んでいるのではなく、私の身の内から声を通して喚びかけて下さっているのです。
昔から浄土真宗の門徒は阿弥陀様を「親さま」と呼び親しんできました。親が子にそそぐ無条件の愛情を仏様のお慈悲に重ねて、阿弥陀様を「いのちの親」と呼んだのです。
子から離れた所にいる親は「つれてゆく」ことはできません。子の一番近い所にいればこそ、親は抱いて抱えて「つれてゆく」ことができるのです。
お念仏申すということは、この親の喚び声を、私が称え聞くことでありました。
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